折に触れ読み返す
今日は久しぶりに 「『奇跡講座』を生きる ー その3つの生き方」(ワプニック博士の『奇跡講座』解説小品集⑴ p53〜p91)を読みました。
心眼{ヴィジョン}について、以下の部分がとても参考になりました。
「すべての者たちのための平安」というキリストの心眼{ヴィジョン}は、ある意味では『奇跡講座』のゴールでもあるわけですが(T-8.I.1:1-2)、それは、「私たちはみな同じである」という真理 ― 天国の完璧な一体性の反映 ― に基づいています。それは、「形態における差異は、すべての人々の心の中にある内容(自我と聖霊と、そのどちらかを選択する決断の力)の同一性を隠蔽するものであるがゆえに、形態は重要ではない」という真理です。だからこそ、イエスは私たちに、自分が出会うすべての人々と共に、赦しの心眼{ヴィジョン}を、例外なく共有するようにと言っているのです(T-31.VIII.8)。イエスの統一された知覚こそが、分離した人間たちから成る幻想の世界の中で、彼の教え子である教師たちがどのように生きるべきかを示してくれる指針となるのです。
I. <間違った心>はこの世界でどう生きるのか ― 自我の〈特別性〉という元凶
P70-71
例外なく共有できるように
例外なく、適用していきたいと思いました。
さらに
それには、私たちの継続的な意欲が必要とされます。自分の冷淡な想念をすべて疑問視し、それを、心の中のその源(すなわち自らが思いやりの教師ではなく冷淡さの教師を選択した場所)へと戻そうとする意欲です。「自分が経験していることとは、自分が心を思い出すことを学ぶための<教室>であるに過ぎない」という認識が、<正しい心>の生き方を、<間違った心>の生き方から識別するのを助けてくれます。
II. <正しい心>はこの世界でどう生きるのか ― 赦しによる祝福
P75-76
ここで言われている「継続的な意欲」
これも心がけたいと思いました。
こうやって読んですぐはそう思うのですが、すぐに忘れてしまうので、また時々読み返したいと思いました。
