Practice
今朝、早速、昨日学んだことの実践のチャンスがやってきた。
マッサージチェアに座っていると、Sさんがやってきて隣の席に座り、朝から機関銃のように喋りだした。どうやらご丁寧に、私が休みの間に職場で起きた出来事を報告してくれているようだった。
あぁ、うるさい。私は今、大切な人にメールをしている大切な時間なんだ。ちょっと黙ってくれないか。気が散ってしょうがない・・・、と最高にイライラしている最中に、ふと、そうだった!「愛を求める呼びかけ」だった!と思い出し、なんとか昨日の教材の内容を思い出そうとするのだけれど、Sさんの、神経を逆なでする話し方が耳について集中できない。
あぁ、イライラする!
いや、ちがった、「呼びかけ」だ。
これを何度か繰り返しているうちに、気がつけばSさんは黙っていた。しかし、もうメールができる時間はなくなっていた。
あぁ、やってしまった。ちっとも学んだ通りにできなかった。点数でいうなら、かろうじて思い出せた分だけ12点といったところだ。
でも、とりあえず思い出せた。今回はそれでいい、ゆっくりでいいんだ、そう、少しずつ、少しずつ。
家に帰ってもう一度読んでみた。
愛を求める呼びかけ
「テキスト」第十二章の最初のセクション、「聖霊の審判」(T−12.Ⅰ)は、このことを非常に明確に述べています。聖霊の目には、すべての攻撃が助けか愛を求める呼びかけなのです。なぜなら、もし人が愛を感じていたなら、攻撃することは決してできないからです。攻撃は、その人が自分が愛されていると感じていないという事実の表現です。ですから、それは愛を求める呼びかけなのです。それが語っていることは、「私が間違っていると教えてほしい。私を愛している神が本当に存在すること、私が神の子であり、自我の子ではないことをはっきりと示してほしい」ということです。もし私が〈正しい心の状態〉でここに座っているなら、そのような呼びかけを私は聞くことになります。攻撃の中に、愛を求める呼びかけを聞くのです。その時は、私は神の愛と一体感を感じているのですから、その愛を延長させていく以外にどんな反応ができるでしょうか?
「奇跡講座入門」P139ー140 太字は私による
今度はちゃんと思い出せるように全部覚えてしまいたいと思った。暗記パン(ドラえもんの道具)があったら、絶対に書いて食べるのに。
いや、きっと覚えたところでどうにもならない。ピアノならばどうだ?弾いたことないからわからないけど、きっと、楽譜を覚えただけじゃ足りないような気がする。美しく弾けるようになるには、練習、練習、また練習のはずだ。
さぁ、きっとまたチャンスをくれるであろうSさんに感謝しつつ、めげずに頑張ろう☆
(2019年2月 by アムロ)
