ふたたび学ぶ

私はしばらくの間、コースから遠ざかっていました。

そしてまたコースを学びたいと思った時にまず感じたのが、コースを学んでいなかった過去への後悔でした。
受講していたワークブックの講義を途中のままにしてしまい、その後に別の講義が行われたことも見逃しており、貴重な学びの機会を失ったのだと自分を責める思いでした。

そのことが私には大きな罪悪感として経験されましたが、それは心の中の罪悪感を見るためのレッスンとすることができるはずです。

私は基礎から、コースとは、赦しの実践とは何かを学ぼうと、『原因についてのコース』と『思考の逆転』のDVDをできるだけ丁寧に見て、冊子を読み返しました。

そこで自分の理解が改まると同時に、今まで見過ごされてきた疑問が—多くはここがわからないとはっきり表現するのも難しいのですが—いくつも出てきました。また参照として掲載されていたテキストやワークブックの内容もとても難解に感じました。(これは控えめに言ってカッコつけてます)


しかし、ともかくも後悔という感情を使って、心の中にあるものを聖霊と共に感じてみようとしました。そこにはいろんな自己中心的な思いがグルグルしていました。

そのひとつには、私はコースをこのように学ぶべきだという形態レベルでの勝手な思い込みがありそうでした。
それはビデオ「『奇跡講座』を人生のすべてとしない」で言われているように、コースとも〈特別な関係〉を築いているのではないかと思います。

あなたの生活の中で「奇跡講座」に関連した何かを行うことに、何ら悪いことはありませんが…

形態を変えることによって、内容を整えようとすべきではありません。

形態を使って内容に戻るのですが、常に念頭にあるべきなのは、内容のことなのです。

(中略)

私が「奇跡講座をあなたの人生のすべてとしないように」と言うのは…

このコースとの間に〈特別な関係〉を築いてしまってはいけない、ということなのです。

毎朝、ワークブックのレッスンを行わなければ、絶対に一日がうまくいかない、と思ってはいけません。

あるいは、テキストを読む静かな時間を持たなければ、一日がうまくいかないと、思わないでください。

もちろん、それらのことを行うこと自体に、何ら悪いことはありません。

でも、それらに依存するようになるなら(つまり、それが〈特別な関係〉ということの意味ですが)…

もしあなたが自分の救済のために、『奇跡講座』に依存しているのなら、困ったことになります。

なぜなら、あなたは形態に依存することになるからです。

V#19: 『奇跡講座』を人生のすべてとしない


また、私が学ぶための機会を損失したと感じていることは、自我を強大で実在するものとみなしていて、実はコースを学びたくないという思いの表れではないかということが、ビデオ「時間が足りない」でも解説されていることだと思いました。そして、私が学ぶことに焦燥感を感じていることは、「反動形成」であるとも説明されています。

自分が、こうした懸念を他人または自分自身について表明しようとしているのを感じた時に 、真に助けとなるのは…

いったん立ち止まり、「この根底にある懸念はどういうものだろうか」と問うことです。

そしてその「根底にある懸念」とは、常に、「私は自我を手放したくない」というものです。

ですから、自我をしっかりと存続させているのは「自我は強くて頑丈だ」と信じることなのです。

そうして、私たちは、自我は強くもないし頑丈なものでもなく、強いのは私の自我への執着だ、ということを忘れています。

V#13: 「時間が足りない」

『奇跡講座』においては、「神からの分離は本当に起こった」と信じていることから生じている心の中の罪悪感を見たくないと思っている私たちが、それを直視するという練習をしているわけですから、当然、抵抗が生じます。

こうした状況における「反動形成」とは、「絶対に、自我を手放したくないし、罪悪感を直視したくもない」という本当の気持ちに触れないようにするために、顕在意識においては逆に、「自我を手放そう」という行動において極端に一生懸命になるというような形で現れます。

上記のビデオ「時間が足りない」の中では、「このコースを習得するには時間が足りない」と焦るとき、私たちは「一日も早く自我を手放したい」と躍起になっていると説明されています。そして、そのように躍起になる理由は、「分離は確かに起こったし、自我は実在している」と無意識のレベルで固く信じていることを顕在意識レベルで打ち消そうとしているからです。これが、「反動形成」です。

ワンポイント解説「反動形成」


今も後悔という形をとって、自分さえよければという思いや罪悪感が浮上してきますが、理論的なことを学ぶと同時に、大切なのは「心の中を正直にみる」ということなので、「今、自我の目的を選択している」とわかるように、未熟ながら実践を続けていきたいと思います。

 ( 2022年4月 by yukihide)