自我バージョンの与え方

先日友人から慶事についての報告があった。
直近で同じことが私にも起きて、お祝いしてもらったのにも関わらず、その事に対して私は怒りや恐れを感じていた。

そしてそれを見てみた。

このような感覚は、今まで何度でもあった。そして気づいた、他者の幸せを、私は心から祝ってなどいないのである。

このことについて、聖霊のレッスンの記載を思い出し、読み返してみた。

私たちは、「何かを与えてしまえば、それは自分の手元から無くなってしまう」、「自分が何かを手に入れるなら、その分だけ、他の誰かの取り分が減ってしまう」、さらに、「自分が何かを獲得するには、他者から奪わなければならない」とさえ信じています。それは、自分と他者は同じではない(つまり、分離している)と信じているからです

そして私たちは、「与える」ということに関する考え方についてのこの「自我バージョン」が「当たり前のこと」と思ってきました。

「聖霊のレッスン」P21-22

心を見ていると、彼が幸せになると私の取り分が減ってしまう、また私が幸せになるということは、誰かの取り分を奪っているのだといった、想念があった。

私は今まで「自我バージョンの与え方」を選んできた。
それに気づいた時、もうこれは必要ないという思いが湧いてきた。

その別なバージョンが、すべての人を「同じ」と見る聖霊の思考体系による「与え方」であり、それによれば、「他者に与えたものは自分にも与えられる」ということになります。

「聖霊のレッスン」P22

私は「聖霊バージョンの与え方」を選択したい!
このことについてもっと警戒していこうと思った。