コミュニケーション

私たちは普段自分たちを「正気の人間」だと信じ、それを微塵も疑わない。

しかし、イエス先生やワプニック先生は、私たちの思考を「狂気」と教え導かれる。

ワプニック先生は、V#39で、「私たちが生まれてきたという単純な事実自体が、私たちの為し得た最も自己破壊的な行為だ」とおっしゃっています。

今日は、私たちの自己破壊的な行為、
または、自己妨害について、お話しします。

これは、あらゆる人の自我にとって大切な領域です。
というのも、私たちの誰もが、それに耽溺しているからです。

実際のところ、「私たちが生まれてきたという
単純な事実自体が、私たちの為し得た
最も自己破壊的な行為だ」と言うことができます。 

V#39: 自己破壊的な行為

しかし、だからといって、私たちは、この世界や自分の肉体を否認するのではなく、別の目的で使う。

「聖霊のレッスン / 「奇跡講座」テキスト第6章Vの解説」より、「肉体についての自我による見方と聖霊による見方を対比」しているところを引用します。

自我は肉体を、攻撃と快楽とプライドのために用いる。この知覚の狂気が、それをまさに恐ろしい知覚とする。聖霊は肉体を単なるコミュニケーションの手段と見なす。そしてコミュニケーションを行うことは分かち合うことであるから、それは聖餐となる。

(T-6.Ⅴ.A.5:3-5)

自我は、肉体を「攻撃と快楽とプライド」のために使います。これは、〈特別な愛〉と〈特別な憎悪〉のために使うという意味です。肉体をこのような目的に使えるものと知覚することは、葛藤や苦しみを生み出しますから、それが「狂気」と呼ばれています。

一方、聖霊の、〈正しい心〉から見れば、肉体は、「あなたと私は同じ」ということを伝えるための「コミュニケーションの手段」と見なされます。

「聖霊のレッスン / 「奇跡講座」テキスト第6章Vの解説」P51〜52

また、「どう聴くのかを学ぶ」(第4回)に書かれてある

他者を赦すということ(すなわち、彼らの中にあのメロディーを聞くということ)は、私たちが自分自身を赦すことでもある・・というのが、〈赦し〉の鍵となる要素の一つです。

どう聴くのかを学ぶ(第4回)

ということとつながってくるのかなあ、なんて思いました。