私は後から来ている
先日、ある医学博士の講演で、「私たちはこの世界に後から遅れてきている」という話を聞き、衝撃を受けた。
他にも、「自分を見ている意識が最初の意識」とか、「空間定位の領野が壊れると世界と一体化する」とかいろいろ話を聞いているうちに、私は自分のことを、「もしかして、私は本当は死んでいるのに、それに気が付かずにまだ生きているつもりなのではなかろうか?」と思うようになった。
あまりにも急に死んでしまったために、自分が死んだことを認識できなかったのではないか?と。
そして妄想好きの私は、この「もしかして」の世界に入っていった。
私は今まで、自分が見たり聞いたりしたこと、そこを出発点としてそこから自分の考えが生じているのだと認識していたが、私の意識(知覚)より前、私の知らないところで、まずは自我が選択されていて、その後世界ができて、そこで目を開いて見たものが、今の世界なんだと感じるようになった。
そして、フォーラムで「形態と内容」のことが話題になっていたので、私も関連するところをあれやこれやと読んでみた。
どの教材もテーマに沿った読み方をすると新しく響いてきて、いつものように次から次へと読み進み、気が付けば「赦すけど忘れない」を読んでいた。
物事を見る見方は、あなたの心の中を起点としており、自我か聖霊かのどちらかと共に始まるのです。
「赦すけど忘れない」質問8(P73)
肝心なことは、現在にとどまることです。すなわち<聖なる瞬間>に留まる、ということです。直線的な時間の中に居続けることではありません。それでは自我の思考体系の中心部に居続けることになります。「なぜ私たちはこのようなことを引き起こしたのだろうか」というのは、過去についての陳述です。重要なのは、「今この瞬間に、私たちが、自我か聖霊かのどちらかを選んでいる」ということです。それが意味のあることなのです。その時、交通事故や、医者から告知された癌や、中東で起こっている戦争などといったものは、ニュートラルなものになるのです。あなたの関わっている関係もニュートラルなものです。どのようにして作り出されたかとか、どのように生起したかなどは問題ではありません。問題なのは、今この時にあなたがそれにどう向き合うかです。
今や、これらの状況の一つひとつがニュートラルとなり、それを、あなたが自我の目で見ることにするか、聖霊の目で見ることにするか、という選択を待っています。
「赦すけど忘れない」P75-76
私は毎瞬死んでいる。しかし、死んだことに気が付かずに過去の記憶を紡いであたかも時間が続いているかのように生きている。
1秒前の意識は今の意識とは違う。毎瞬、生きているつもりの夢を見ている。
そんな妄想をしていたら、ふと、巨大な涅槃像のイメージがわいた。
その涅槃像が見ている夢の登場人物、それがこの私なのか?
布団の中でこんな妄想をしている私が見ている世界はすでに決まっている。自我が選択された後に見ている世界だから、見るものすべて、この意識も全て自我の範疇なのだ。
しかし、この涅槃像にとっては、すべてがニュートラルなのではないか?
過去の記憶の中に生きているつもりではなく、今この瞬間に、ニュートラルな状況をどちらと共に見るか?
また、その見ている自分とは何なのか?
自分が自我を選択した
だから聖霊を選択しなおす
この時の「自分、私」とは、肉体の私ではないはずだ
じゃぁなんなんだ?となるが、今のところ、「肉体や頭脳、時間や空間を超えたところ」と認識しておくにとどめることにする。
(2022年3月 by アムロ)

