ビバーナム
テキストを読んでいて、そこに書かれていた質問に、「うっ」とひるんでしまいました。
自分を支配する世界の代わりに、自分が支配する世界を、私は欲するだろうか。
自分が非力ではなく力をもつ世界を、私は欲するだろうか。
敵がいなくて、私が罪を犯すことなどできない世界を、私は欲するだろうか。
そして、真理であるがゆえに自分が否定したものを、私は見たいだろうか。
T-21.Ⅶ.5:11-14
質問の意味自体がすぐに理解できなくて読み直し、3つ目の質問までは「はい」と答えられたのですが、最後の質問には詰まってしまいました。
しばらくの間、この質問について考えていました。
これには抵抗がある。私は見たくないんだろうな。やっぱり私にとっては恐ろしいことだから。
それから、テキストを読もうと思っても、あまり読む気にはなれませんでした。
少し日にちが経ってスーパーで花を買ってきたのですが、とても気に入って、その花についてネットで調べていました。
すると他にも色々見つけて、こんなに素敵な花があるんだ、と感激してしまい、見ていたら欲しくなってしまったのです。
この際、前から欲しいと思っていたユーカリの鉢植えや、花を切花として使えるものを買えばいいのでは?と思い、良さそうなものを探しました。
いいな、と思ったもの全部を買う訳にはいかないので、その中からどれにするのか…
長い時間ネットを見ていて、こうやって気持ちを逸らしているんだな、と自分でも感じていました。
でも真理に向かうことは恐れがとても大きい。
私は恐れているのだから、今はこれでいい。
そう思って家にある花や枝物、観葉植物の手入れを楽しんでいました。
可愛らしい花や生き生きとしているグリーンを見ていると嬉しくて、とても満たされた気持ちでいたのですが、次の日になって、夫に対する不満を手放せずに小言を言った後、「私はどうしてこんなに不幸なんだろう」という気持ちにとらわれ、悲しくなってしまいました。
これは自分で選択したことなんだな。確かにそうだ。夫のせいなんかじゃない。
昨日は幸せな気分でいられたのに、今日は不幸なんて、こんなのはやっぱり嫌だ。 私は本当の幸せの方がいいと、この時思ったのです。
捉えどころのない幸せや、時と場によって形を変える幸せというのは、何の意味もない幻想である。幸せは恒常的なもののはずである。なぜなら、それは恒常的でないものへの願望を放棄することによって達成されるからである。喜びは恒常的な心眼(ヴィジョン)によらずには知覚されない。
T-21.Ⅶ.13:1-2
だからといってすぐに選択を変えられる訳ではないけれど、わずかな意欲を差し出しながら、少しずつ進むことならできるかもしれない、と思ったのでした。
花や観葉植物を楽しむこと自体は悪いことではないと思うので…
スーパーで買ってとても気に入った花はビバーナムです。
色々迷ってビバーナムの鉢植えを買い、昨日届きました。
かわいい白い花が沢山ついていて感激しました。
花を切ってキッチンに飾った写真です ♪
ユーカリはまだ届いていないのですが、届くのが楽しみです。ベランダ片付けないと…(^^;;
(2022年5月 by たんぽぽ)

