Tさんの気づき

(JACIMフォーラム「読書会」での、SさんとTさんの対話より)

Sさん、一生懸命真理に向かっていこうとすると、自我の抵抗が激しくなって、訳がわからなくなってしまうことってありますよね。

私もこれまで何度か経験してきました。

実はこの「読書会」でも、そのようなことを経験しました。

一生懸命聖霊の方を向こうとして書いたら恐れが出てきて、自我の声が大きい状態で自分が書いたものや、他の人のコメントを読んだ時

「ものすごく独りよがりなことを書いてしまった、みんな不快な気持ちで読んでいたんだろうな…」と、いたたまれなくなりました。

そこに書かれていたコメントも、「私に対する批判が込められているんだろうな」などと感じられたりして。

私は何をしていたんだろう?単なる思い上がりだったのか?と、本当に訳がわからなくなってしまったのです。

その苦しさをイエスに差し出し、落ち着いてから「読書会」の同じところを読み返してみると、全く違うように感じられ、

同じ文章を読んでも自分の状態によってこんなに感じ方が違うんだ、と驚きました。

何で「私に対する批判だ」などと思っちゃったんだろう?と不思議に思う位でした。

自我の力って凄いな、と感じた出来事でした。

でも、自我に力を与えているのは私なんですけどね…(^_^;) 

まだまだ恐れが大きいんだなぁ、と感じる時、

「そりゃ怖いよね、怖くて当たり前だよ。いいよいいよ、ゆっくりやっていこう。」と

自分を励ましています(笑

最初はこの「読書会」では、読むことに対する抵抗が大きかったのですが、

今は書くことへの抵抗が大きく、自我の抵抗に少しずつ逆らっていく訓練の場のようになっています。

以前、加藤さんの講義室で、恐れを感じるということを自分で選んだ、と学んだ時、ものすごく衝撃を受けたのです。

え〜〜! そうだったのォ〜〜〜? と。

あんなに衝撃を受けたのに、時間が経つとそれも薄れてきて、ついつい忘れそうになります(^^;;

でも自分で選んだのなら、選び直すことができるんですもんね。