「真の楽しみ」とは

さて、突然唐突だが、『奇跡講座』の「テキスト」には、

すべての真の楽しみは神の意志を行うことから生じる。(T-1.Ⅶ.1:4)

中央アート出版社・刊『奇跡講座 上巻』

と書かれている。では、この「真の楽しみ」や「神の意志を行う」とはどういうことなのだろう?と考えた。

この世界には、さまざまな楽しいことがある。ビデオゲームを楽しむ、休暇の計画を立てる、美味しい食事、美しい自然の中を散策する、素晴らしい芸術作品を鑑賞する……

奇跡講座を学ぶ者も、もちろん、これらのことを楽しむことには何ら問題はなく、楽しむことに罪悪感を感じる必要は全く無いのだと思う。では、奇跡講座の言う、「真の楽しみ」「神の意志を行う」とは何か。

今の私の理解では、何をするにも、何を思うにも、「聖霊と共に」決断する、考える、ということなのかな、と思う。そして、「聖霊と共に」知覚し考え行動するならば、自然、どのような行動や態度も、優しく親切で柔和なものになるのでは、と思う。ワプニック博士も、

『奇跡講座』の卓越した形而上学的理論と洗練された心理学的洞察を抜きにすれば、このコースは「親切でありなさい」という簡潔なルールに要約できます。人々への思いやりがなければ、あなたはこのコースを実践していないだけでなく、まったく理解することさえできません。

- ケネス・ワプニック著、The Healing Power of Kindness より

ということなのだと思いました。

そして、「奇跡講座を生きる」とは、 V#17: 「教える」ということについて で示されている通り、

それについて学術的な本を書いたり、人々にその思考体系がどんなものかを教えることでもありません。
それを生きることにより、教えるのです。
私たちは、態度で示すのです。 「彼の愛が、私たちの中に 生きている」ということを。
そして、人々が何をしたり、言ったり、思ったり、感じたりしようと、その愛は決して死なない、と示すのです。
この世界の中で、自分の肉体に何が起ころうと、あるいは、自分の愛する人々の肉体に何が起ころうと・・・
神の愛と私たちの間を遮断することができるものなど一つもない、と示すことです。
イエスが象徴しているあの愛と、私たちとの間を遮断できるものなど、一つもないのです。

V#17: 「教える」ということについて

つまり、このビデオ教材の説明書きの下の方にもある通り、

神の教師」とは、職業に関係なく、できる限りいつでも、聖霊の思考体系を体現する者となりたいという目的をもって、『奇跡講座』を学び実践している人々のことです。

V#17: 「教える」ということについて

ということなのだと思った。

(2022年3月、by DTA1973)