笑っているふり

日々、特に何か困難に感じることがないときほど、自我に操られていると気をつけなければいけない、と、ここ最近強く感じている。

子どもたちがようやくみんな独り立ちし、保育園での仕事も毎日楽しく、数十年ぶりにお給料の振り込まれる嬉しさも思い出した。着れなくなるまで何年も同じ服を着ていたのが、好みのデザインの大きなサイズの服が買えるサイトを見つけてあれこれ買うことを覚えたり、節約一番で広告を見比べては底値を狙って買い物していたのが、手近で間に合わせることを覚えたり、夫婦で髪を切り合っていたのがたまには美容院に行くようになったり…。

別に悪いことをしているわけじゃないのに、いろんなことが雑になってきて、めんどくさくなってきて、心を掛けなくなってきている気がする。買い物するのに感じる微かな罪悪感は、これを買うことで幸せになれると思うところからか、それともネットサーフィンに時間を取られ家事が手抜きになっているせいか。落ち着かないから始終なにかを口に入れ、動くのが億劫になり、だんだん雑然としていく家の様子や家事の手抜きに対する家族の視線や言葉を恐れているせいか。

この世界の中に自分を幸せにしてくれるものがある、そして、この世界に自分を不幸せにしてしまうものがある、という、自我の魔術にまんまと絡め取られている。より良い、とか、こうあるべき、とか、時間の使い方には良し悪しがある、とか、心を見ることをすっかり忘れて、額縁のまわりを飾り立てるものばかりに目がいっている。「今日中にこれをしよう」と思ったことも先延ばしにすることで自分を責めることに成功している。

「深刻にならずに笑い飛ばす」ということを「目をつぶって見ないことにして笑っているふりをする」にしているのではないか。

今、自分が否定したいこと、見たくないこと、深刻に考えようとしていること、とらわれていること、赦したくないこと、心を静かにして一つひとつ恐れずに聖霊と共に見ていきたい。この世界はすべてが幻想でどんなに正しく・良く見えることも間違って・悪く見えることも等しく意味がないこと、時間はそれ自体に意味はなくただ赦しを学ぶためにのみ存在すること、自分を傷つけることができるのは自分だけということ、恐れることは何もないこと、足りないものはなにもないこと、自分は何も知らないこと…。

私の中の「愛を求める呼びかけ」に優しくして、『奇跡講座』を学んでいく先にある本当の平安を目指して進んでいきたい。


(2023年5月 by ららばい)