頼りにすべき存在

先日、「私には“自分は何も分かっていない”という自覚すらない」、ということを投稿してから、だんだん具合が悪くなってきて、その後1日苦しみの中に入り込みました。

進む方向が分からない、何も分からない、どうして自分はこんな迷路にハマってしまったのだろう。自分なんて死ねばいいんだ・・・という自分への憎悪、何かを怒りまくっている自分、頼るものが何もない孤独感、絶望感。これを聖霊の目的で使っていくんだったよね、と思い出してやってはみるものの、もう全然ダメ。

次の日に、今年受けた講義の「決断のためのルール」を思い出した。
「私はひとりで何も決断しない」だったよね。

思い出した途端に、すごく涙が出てきて、私はどうして聖霊を頼らないのだろう?と思った。

そうして分かってきたのは、私は「全てひとりで対処しなきゃいけない」「全てひとりで何とかしなければいけない」という強い信念を持っていたことです。ここに物凄い心細さ、孤独感、悲しみ、怖がっている自分がいました。

そうだ、私は誰にも頼らず私だけですべて何とかしないと、と思って今まで全てを行ってきた(つもりだった)。けど、この「自分」が一歩下がることなんだ、下がって大丈夫なんだ、私は孤独ではなく頼りにするべき存在があるんだ。そこを頼りにしていいんだ、と思え、楽になっていきました。

前日も聖霊を頼ろうとは思ったけれども、頼ろう選ぼうとするその「自分」が一歩下がることなのだなと思いました。そして障壁(罪悪感 信念)を隠していたのでうまくできなかったのかもしれません。

がんばってきた「自分」を手放すことが、幸せなのだと思いました。
そして「自分は何も分かっていない」ことを受け入れていくことなのだと思いました。