自分とは何か

今朝テキストを読んでいたら、以下の箇所に釘付けになった。

あなたは自分とは何かと問い続けている。そこでは、その答えがあなたの知っている答えであるのみならず、自分で答えるべきものでもあるとみなされている。だが、自分を正確に知覚するということは、あなたにはできない。

T-3.Ⅴ.4:2-4

そう私は子供の頃よりずっと「自分とは何か」と問い続けて来た。しかし、そのように自問することは、自分で答えを知っているということが前提になっているとテキストは指摘している。本当にその通りだと思った。私が気付かなければならないことは、「私は答えを知らない」のであり、だからこそそれを知っている聖霊に全面的に頼らなければならないということだ。

自我の私はとかく自分で考えたがる。そしてこのようにあれこれと試行錯誤をすることで、自我としての自分を温存しておこうとしているだけなのだ。これではいつまでたっても自我の思考サイクルの中のままだ。私に唯一必要なのは、自我の私は何も知らないということをいかに早く謙虚に認めて、私自身を退かせ、全てを知っている聖霊に道を全て譲ることなのだ。このことをもっとしっかりと認識して行きたい。