〈要チャレ №3〉の要約発表&感想
〈要チャレ№3〉【質問109】 頭脳と心の関係について
【今回チャレンジされた方々の要約】
たくさんのご参加、ありがとうございました(^O^)/
奇跡講座の目的は、肉体から心への認識の移行である。肉体は、自我を選択した結果で、頭脳は自我の戦略の一部である。一切は心の中の経験で、肉体であるという混乱は、自分の考えが、肉体や肉眼や頭脳と結びついているからである。心が受信装置、意識が受けるための機構、肉体・聖霊は媒体である。肉体は感情を持たず、メッセージに込められる感情は、同一の送り手と受け手によって与えられるので、自分に送られることとなる。喩えるなら、心はラジオの周波数を合わせる人、肉体・頭脳はラジオ、自我と聖霊は、二者択一のフィルターのようなものである。必要なことは、どの瞬間にでも、聖霊の波長へと切り替えることだけである。
リリー
私たちは、自分自身を肉体や頭脳と同一化する混乱に陥っている。頭脳は私たちを「心を忘れた状態」にするための自我の戦略の一部であり、一切は心の中で経験される。
K.dash
ラジオの比喩を使うなら、心は「周波数を合わせる人」、肉体・頭脳は「ラジオ」となる。ラジオ自体は何も経験しないし、選択もしない。
心はどの瞬間でも聖霊へとチャンネルを切り替えることができる。しかし、自我に慣れきっていたら、聖霊を選ぶことができることを忘れてしまい、自我しか選ぶことができないかのように行動してしまう。
大切なのは、どの瞬間も自我から聖霊へと切り替えることで、そうすることで知覚も経験も、優しく親切なものへと変化する。
自分が肉体であるという自己認識は、私たちの心が、自我を選択したことによって、心が忘れ去られた結果です。
一切は心の中で経験されるのです。
たとえば「私たちは肉体であり、肉体の感覚を通してあらゆるものごとを、頭脳で経験する存在だ」という魅惑的な幻想も、心の中で経験されているのです。
心を、「ラジオの周波数を合わせる人」に喩え、肉体・頭脳を、「ラジオ」に喩えることができます。
その人は、自我の波長か、聖霊の波長か、どちらに同調するかを選ぶことができます。
そして、どちらの波長を選ぶかによって、彼に聞こえてくるものが不調和で憎悪に満ちたものであるか、優しく親切なものであるかが決まります。
REVIVER
すべては心の中で経験される。頭脳は、私たちを「心を忘れた状態」にしておくための自我の戦略の一部にすぎない。なんらかのメッセージを発信するのも、そのメッセージを受け取るのも心であり、頭脳はメッセージを伝達する道具のようなもの。頭脳はメッセージの内容には関わらない。心が自我の波長を選べば、頭脳を介して、その心は自我が発する不調和で憎悪に満ちたメッセージを受け取る。心が聖霊の波長を選べば、頭脳を介して、その心は聖霊が発する優しく親切なメッセージを受け取る。心はいつでもどちらの波長に同調するかを選べるが、自我の波長に慣れきっている私たちは、その選択が可能だということを忘れている。
モリヤマ
『奇跡講座』は、私たちの自己認識が肉体から心へ変化するのを助ける。今、私たちの自己認識が肉体なのは、私たちの心が、自我を選択したことにより心を忘れたからである。頭脳は、私たちをこの「心を忘れた状態」にしておく自我の戦略の一部であり、コミュニケーションの媒体に過ぎない。心を「ラジオの聴き手」、肉体・頭脳を「ラジオ」に喩えると、聴き手は、自我か聖霊か、どちらの局の放送を聴くか選べるし、いつでもそれを変更できるが、ラジオはその選択に関与しない、と言える。あるいは自我と聖霊は、同じ放送を知覚する際の二者択一のフィルターとも言える。そして、一切は心の中で経験されるので、心は送り手でもあり聴き手でもある。
ナイト
『奇跡講座』の目的は、自分は肉体ではなく心であるという認識に至るのを助けることにある。肉体の目が見たり頭脳が考えたりすることはできず、一切は心の中で経験される。心を「ラジオの周波数を合わせる人」、肉体・頭脳は「ラジオ」に喩えることができ、心は自我の波長か、聖霊の波長か、どちらに同調するかを選ぶことができる。しかし、どちらの波長の場合でも、聞こえてくるものの形態は同じである。聖霊の波長に同調していたならそれを希望と愛に満ちたものとして聞くことになる。覚えておくべきことは、心/人は、どの瞬間も、自我の波長から聖霊の波長へと切り替えることだけであり、そうすれば知覚も経験も変化するということである。
sakurah
質問者は頭脳が受信装置であり心が電波信号を発しているとして、自分自身を肉体や頭脳と同一視している。
そして赦しが起きる場所は頭脳であり、彼自身が頭脳であるため彼が受け取る信号の質は彼が赦すか否かに影響されると言っている。
イエスの言葉。
「頭脳ではなく心が受信装置であり、肉体はコミュニケーションの媒体である。
メッセージに込められる感情は送り手と受け手によって与えられる。
その送り手と受け手は同一である。」
心を「周波数を合わせる人」、肉体・頭脳を「ラジオ」に例えると自我・聖霊は同じ放送に対する二者択一のフィルターである。
どの瞬間においても必要とされるのは自我の波長から聖霊の波長に切り替えることである。
ららら
【JACIMフォーラムに投稿された要約】
以下は、2023年5月に、同一の課題で行われたJACIMフォーラムの「要約 読書会」に投稿された要約です。
要約読書会においては、ワプニック博士が何を伝えようとしているかに耳を澄ませ、教材をしっかり読むという過程そのものが重要とされます。ですから、これらの要約も、「どれが正解か」という観点からではなく、それぞれの方々によるそうした努力の足跡として、ご覧になってみてください。
私達は自分のことを肉体や頭脳と同一視しがちだが、真実はそうではない。
頭脳とは、自我によるごまかし戦略にすぎず、一切は「心」の中で経験されるのだ。
ラジオにたとえるなら、「ラジオの周波数を合わせる人」が「心」、「ラジオ」が肉体(頭脳)だ。つまりラジオ(肉体)は何も経験せず、波長(自我か聖霊かの)を受け取るのは「心」なのである。
その心は、どの瞬間でも聖霊の放送局へとチャンネルを切り替えることができる。
私はチャンネルを切り替えればいいだけだ。覚えておくべきは、どの瞬間にでも、私がする必要のあることは、ただ自我の波長から聖霊の波長へと切り替えることだけであり、そうすれば私の知覚も経験も変化するのである。
DTA1973
あなたは、頭脳は考えることができると信じていますが、それは自我による「心を忘れた状態」にしておくための戦略です。
アムロ
心は「信号を送るもの」、頭脳は「信号を受け取るもの」というあなたの喩えは、自分自身を肉体と同一視していることを表しています。
肉体・頭脳をラジオに喩えるなら、心が、自我か聖霊かどちらかのチャンネルに合わせ、合わせたチャンネルによって心に聞こえてくるものが決まります。
全て、心の中で経験されているのです。
もしあなたがラジオなら、自らチャンネルを変えることは不可能です。しかし、あなたが心だと思い出すなら、いつだってチャンネルを「聖霊のオールデイニッポン」に変えることができるのです。
自分自身を頭脳だと同一視する誤りはよくあるが、一切は心の中で経験される。頭脳ではなく心が受信装置なのだ。心を「ラジオの周波数を合わせる人」に喩え、肉体・頭脳を「ラジオ」に喩えることができる。
Night
自我の波長か聖霊の波長かどちらに同調するかを選択でき、その心/人が必要な事はどの瞬間にも自我から聖霊へとチャンネルを切り替える事で、それにより知覚も経験も変化する。
頭脳とは心を忘れた状態にしておくための自我の戦略であり
赦しが起こるのは頭脳ではない。一切は心の中で経験される。心が受信装置なのである。
意識[分裂した心]は聖霊もしくは自我からメッセージを受け取っている。肉体は感情をもたず、心から与えられたものを心に対して発信するだけの
コミュニケーションの媒体である。肉体に意味はない。送り手と受け手は同一であり、メッセージは自分自身に送られる。
自我を選んでいれば不穏なもの、動揺させるものとして聞くことになるが
聖霊を選べば希望と愛に満ちたものとして聞く。どの瞬間にでもただ自我の波長から聖霊の波長へと切り替えることだけが必要なのであり
たんぽぽ
そうすれば知覚も経験も変化する。
肉体は心の諸側面において何の積極的な役割を果たしていない。
肉体は
心に発信するように与えられたものを、
心に発信するだけだ。心が
自我か聖霊かどちらかの波長を選び、送り出す。
どちらも送り出されたものは、
それ自体を探しながら進んでいき、
探しているものを見つけて、
送り手にもち帰る。
ここにおいては送り手と受け手は同一だ。また、同じ形態のニュースが流れてきた場合は
聞く人が、
自我の波長に同調していたら不穏なもの、動揺させるものとして、
聖霊に同調していたら愛と希望に満ちたものとして、
聞く。聖霊の波長を選べることを忘れていることもあるが、
レモンテイー
どの瞬間でも、
自我の波長から聖霊の波長に切り替えれば、
知覚や経験は変化する。
奇跡講座は、私たちは肉体ではなく心であることの認識に導いてくれる。
一切のことは頭脳ではなく心で経験されている。
肉体は見ることも、考えることもしない。あなたが望む感情を伝えるだけである。心がメッセージの送り手であり受け手である。
頭脳をラジオに喩えるなら、心は周波数に合わせる人である。
聖霊か自我か、どちらの周波数にあわせるかで、聞こえてくるものが変わってくる。聞こえてくるものが同じ場合、聞く人の波長により、不穏なものなったり、希望に満ちたものになったりする。聖霊と自我は知覚される際の二者択一のフィルターのようなものである。
自我の放送を長いこと聞いていたとしても、聖霊への切り替えは瞬間に可能である。
kiseki
私達は自分を肉体や頭脳と同一視し、肉体の感覚を通してあらゆる物事を、この頭脳で経験する存在だと信じている。これは、自我を選択したことにより心が忘れ去られてしまったからであり、本来の私は心である。
奇跡講座の目的は、自分は肉体ではなく心であるという認識に至るのを助けることだ。
頭脳ではなく、心が受信装置である。
「意識(分裂した心)」は受け取るための機構であり、聖霊もしくは自我からメッセージを受け取っている。肉体をラジオに例えてみると、肉体が感情を持たないことを理解しやすい。
peko
ラジオから聞こえるものを選択するのが心であり、自我の波長から聖霊の波長へ切り替えることだけが、知覚と経験を変化させる方法だ。
肉体や頭脳を自分と同一視するというのは、「心を忘れた状態」にしておくための自我によるごまかし戦略の一部である。肉体は見ることも考えることもせず、心から与えられたものを心に対して発信する。肉体も聖霊もコミュニケーションの媒体であるが、肉体(自我)が探して持ち帰るのは死であり、聖霊が探して持ち帰るのはそれ自体である。
形態が同じものを見聞きしても自我と同調しているならそれを不穏なもの、動揺させるものと受け取るが、聖霊に同調しているならそれを希望と愛に満ちたものとして受け取る。
どれだけ長く自我と同調していても、いつどの瞬間にでも聖霊の波長に転調することができ、それにより知覚も経験も変化するのである。
ららばい
私たちは肉体や頭脳を自己として認識しているが、それは心を忘れた状態にしておくための自我の戦略である。
分裂した心は自我か聖霊のメッセージを受け取る受信装置であり、一切は心の中で経験される。
肉体は発信するようにと心から与えられたものを、何の感情ももたずに、心に対して発信するだけである。周波数の例えでは、心は自我か聖霊のどちらの波長に同調するかを選択し、肉体に聞こえるものを決定するが、それは同じ形態のものが経験されても正反対の知覚となる二者択一のフィルターといえる。
私たちは自我の波長に同調する以外の選択肢を忘れているが、どの瞬間にでも聖霊の波長に切り替えることができ、それにより知覚と経験も変化する。
yukihide
自分が肉体であるという自己認識は、自我を選択し「心を忘れた」状態にしておくためのものですが、全ては心の中でのみ経験されています。心を「ラジオの波長を自我か聖霊かに合わせる人」、頭脳と肉体を「ラジオ」に喩えることができます。波長の送り手も受け手も自分自身です。
流れてくる放送の形態は同じということもあるかもしれませんが、聞く人が、自我か聖霊、どちらのフィルターを選択するかを決めることができます。どれほど長い間自我の放送を聞いていて聖霊のことを忘れていたとしても、どの瞬間でもチャンネルを切り替える選択はでき、聖霊の希望と愛に満ちた内容として聞くことが可能です。彼の知覚と経験はそれによって変化します。
ひょうたん
感情を持たず、選択せず、何も経験しない肉体をラジオに例えるならば、心が周波数を合わせる人ということになる。
肉体(ラジオ)は心(私)から発信するように与えられたものを心(私)に発信する。送り手と受け手は同一の心(私)なのである。
ラジオから聴こえてくる形態は同じ場合もあるかもしれないが、聖霊の周波数というフィルターを通せば希望と愛が知覚され、自我の周波数では動揺と不穏が知覚される。
たとえ長い間自我に周波数を合わせていたとしても、ラジオと同じく、心はいつでも周波数を切り替えることができる。
どの瞬間にも、心(私)がする必要のある唯一のことは、選択を自我から聖霊に切替えることだけである。
ふうせん
『奇跡講座』は私達が肉体・頭脳ではなく、心であるという認識を助ける。心が聖霊か自我かを選び、夫々に込められたメッセージの送り手となり、且つ受け手にもなるのである。頭脳は心を忘れたままにする自我の戦略で、心からのメッセージを送受診するだけのコミュニケーションの媒体に過ぎず、メッセージ自体に何の感情も持たない。
その意味で、心はラジオの周波数を自我か聖霊かの波長に合わせる人、頭脳はラジオと喩えることが出来る。又心は、同じ周波数の放送を聞く際に用いられる自我か聖霊かのフィルターを選ぶ人とも言える。大切なのは、心はどの瞬間にでも自我か聖霊を選ぶことができ、それにより知覚も経験も変化するということである。
クマ
【感想について】
〈要チャレ №3〉に参加された方で、感想を述べたい方は、以下のコメント欄に12月22日までに投稿してください。感想は要約と同じ名前で書いてください。
承認制なので、コメントはすぐには反映されません。
また、新着記事としての「お知らせ」は出ませんので、関心のある方はこのページを覗いてみるようにしてください。
なお、感想の投稿は一回のみとさせていただきます。
**次回の〈要チャレ№4〉は、1月10日に開始します。**

ディスカッション
コメント一覧
【フォーラムに投稿された感想(それぞれ一部を抜粋)】
〈DTA1973〉
今回の課題は長文であり、かつ三部作からの引用も豊富で、最初は読むだけでも難儀でした。そして「これを300字にまとめるのか?いやとても無理だよ」と途方に暮れました。
しかし、読み始めて何日目だったか、ふとこの【質問109】の骨格が、メロスが見えた(気がした)瞬間がありました。
まるでレントゲンで教材を透視したかのような感覚でした。しかしその感覚は一瞬でした。その感覚を元に、自分なりに要約してみました。でも自信は全くありません💦
でも教材を一生懸命に読んで少しずつ理解が深まった手ごたえはあり、それが何より嬉しかったです。
〈ふうせん〉
この度は貴重な体験を、ありがとうございました。
限られた字数で、このQ&Aを要約するのはすごく難しく感じて最初は無理だ…と思っていましたが、何度も読んで考え、文章を切り貼りするうちに楽しくなってきました。
そして、内容に同一化するような感覚になれたことは本当に素晴らしい経験でした。
皆さんの要約を読ませていただくことも、非常に勉強になりました。
全てが力作で、皆さんの要約の内容が合唱のように聴こえた気がしました。
もう一つ気づいたことは、私の中からは「肉体は自分が心だということを忘れさせるための自我の戦略」ということがすっかり抜けていた、ということです。そのようなことは認めたくない、という部分があるのだなと気づけて本当に良かったです。
次回も、可能であれば是非とも参加したいなと思いました。
〈クマ〉
このQ&Aでは、下記の表現に悩まされました。実は未だに整理不十分で、直ぐに分からなくなります。
・頭脳ではなく、心が受診装置
・心が送り手でもあり受け手である
・他のすべてのコミュニケーションの媒体と同じように、肉体は与えられるメッセージを受け取ったり、送ったりする
・聖霊もまたコミュニケーションの媒体
・自我と同じように、聖霊は送り手であると同時に受け手でもある
送り手、受け手、コミュニケーションの媒体などが重複して使われているので、これだけを見ると一体どれが何なのか、どう違ってどう同じなのか、近視眼的になると理解が混線します。
その意味で、ラジオの周波数とフィルターの喩えは、とても助けになりました。
〈レモンテイー〉
質問109の要約に取り組むことで、
「私の本質は肉体ではないけれど、
この肉体は本質である愛を表現するためにも使うことができ、
そのとき肉体は神聖である」というような側面に、
つまり、肉体はニュートラルだとか、肉体は無だとか、
肉体は「心を忘れた状態」にしておくための自我の戦略だ、
と言った側面とはまた別の側面に、
ようやくたどり着くことができました。
しかし、聖霊を選ぶことの難しさを、今、ひしひしと感じます。
誘惑に負けそうです。
世に勝たねば!のなんと難しいこと!
上記が投稿したときまでの感想です。
要約を投稿した時点では、
上記のように誘惑に負けそうだったのですが、
皆さんの要約が、本当に大合唱のような大波となって、
私をものすごい勢いで押してくれました。
今、私は幸せな夢も痛い夢もどちらも実在ではないと受け入れられたような気がします。
〈kiseki〉
「聖霊のオールデイニッポン」を聴きたいです。
雑音ばかりで、なかなか周波数が合いません。
〈たんぽぽ〉
最初は私も「これをどうすればいいのか、さっぱりわからん。できる気がしない。」と思っていました。
でも、何回も読んでいるうちに「言われていることは結局はシンプルなことなんだ」と感じるようになりました。
読書会という機会がなければ、こんなに何回も「読み取りたい」という意図を持って読んだりはしなかっただろうし、やはり勉強になるな、と感じました。(ちゃんと理解できたかどうかは別として)
〈peko〉
今回は、とても難しく感じました。
自分が肉体でも頭脳でもないなら、今考えているラジオだと思い込んでいるワタシって、どこいるの?
心が受信装置って?心は時間や空間の中にないって、もうわけわからん(*_*)
と、自分の居場所が消えたような不穏な気持ちになりました。
なので、書いてあることを理解する、それだけを考えてまとめました。
〈Night〉
前回に続いてまた頭脳と心について学べて良かった。
心については難しく思えるけれども自我を選ぶか聖霊を選ぶか、シンプルな事なんだと思いました。
〈yukihide〉
肉体そして頭脳が積極的役割を果たしておらず、何も経験せず、感情ももたないということを読んで、改めて凄い教えだなと思いました。
そして聖霊の放送局に切り替えるのに、自我の放送をどれくらい長い間、聞いていたかも問題にならないということが印象に残りました。
それで実際簡単に切り替えられるということではないですが、その瞬間にも自分がそれを望む意欲に応じて、受け入れられる限度に応じて、求められる助けが常にあるということを信じていきたいです。
〈ひょうたん〉
今回の要約に取り組む中で、波長の送り手と受け手は同一の心であり自分自身であるということ、放送の形態は同じものかもしれないが、それを聞く人が自我か聖霊かのフィルターを選択できる、ということの意味に焦点を当てる練習を試みていました。そうしているうちに、なんとなく感じたことです。
「ラジオ」
→ 〈肉体、頭脳〉
「心」
〈ラジオの波長を自我か聖霊かに合わせる人〉
→ 出発点が自己概念Bであるか、最初から聖霊を教師としているか
〈聞くときにフィルターを選択する人〉
→ 自己概念Bが出発点でも、動揺を引き金にして思考の逆転をすることが可能
ということを思いました。今回も、とても勉強になりました!
〈アムロ〉
一切は心の中で経験される、と言われても、じゃぁ今この教材を理解しようとしている自分はなんなんだ?と混乱するばかりでしたが
それはそれで脇へ置いて、「ここに、どういう意味のことが書いてあるのかを理解する」という目的のためだけに読むことに専念しました。
そしてまさにこの行動、「ここに、どういう意味のことが書いてあるのかを理解する」という目的のためだけに読むことこそが
聖霊の波長に同調することを選んでいると言えるのではないだろうか?と思いました。
〈ららばい〉
難しかったです!ラジオや波長という言葉を入れたかったけれど、字数に収めようとすると入れられませんでした。みなさんの要約を読んで「う~んなるほど!素晴らしい✨」と感動しつつ、色んな角度から掘り下げられていて、要約を読むことで今回の課題の内容がより理解できたように思います。
その心/人は、どの瞬間にでも、聖霊の放送局へとチャンネルを切り替えることを選択できるからです。そして、これはそのすぐ前の瞬間に、どの放送を聞いていたかには関係ありません。また、それ以前に、別の放送をどのくらい長い間、聞いていたかということも、問題になりません。
白か黒か、零か百かという極端な思考に陥ることの多い私にとって、『奇跡講座』を学んでいく時の指針になる言葉だと思います。これだけ自我と一緒にいたからもう聖霊には戻れないと考えるのではなく、自我とともにいると気づいた瞬間に聖霊を選び直すことができるということを覚えておきたいと思います。
毎回、皆さんの要約大変良い学びとさせていただいております。普段、うっかり、自分も他者もラジオとしており、自我と同化している事の方が多い状況です。聖霊の波長に切り替えられる様、私も勇気=意欲を出せる様実践していきたいと思います。
科学的には私たちは肉体の頭脳だと言われている。
私もそう信じていました。
しかし自分を肉体だと信じると、
遅かれ早かれ必ずチェックメイト(王手で詰み)状態になり、
被害者意識に囚われて不平不満を言うだけの、絶望的な回答となってしまうのです。
しかし私たちは想念であるということを受け入れるなら、
私たちは想念の中でなら周波数を一致させることで、
何にでも同調できる本当の自由があるのだと気付けました。
それは他者に周波数を同調させることで思いやりや優しさを持てるということだけでなく、
私たちが真に愛することができるという希望となる。