真のコミュニケーションとは…?

自我同士もコミュニケーションできるのではないかと考える人々もいるかもしれませんが、自我同士は恐れと分離の思考体系ですから、それは不可能です。自我の思考体系を受け入れている人々も、互いに忠誠を誓ったり、つながりあったり、団結したりすることがあるように見えます。けれども、自我たちは、表面的には団結するように見えても、その「団結」の理由は、一人ひとりが自分にとって利益になるものを得るためなのです。それは、自我は、「与えることと受け取ることが同じ」だとは思っていないからです。自我は、自分が獲得するためにのみ与え、「特定の人々のみが自分の愛や関心や赦しなどを受けるに値する」と信じています。すべての人に同じように与えることはしません。
『聖霊のレッスン』p.54

私は、『聖霊のレッスン』の講義で、初めてこの文章を読んだときに衝撃を受けたと同時に、とても安心感を覚えました。なぜ安心感を覚えたのか、その頃には漠然とした感覚しかなく表現しきれるものではなかったのですが、この段落は何度も読み返してきて、それに関しての考えもまた変化してきたように思います。

うまく伝えられるか分かりませんが、私の経験からの受け止めた内容を書いてみたいと思います。

「疎外感」というのは、日常的に感じられるものです。
特に新しい職場に入って環境や仕事に慣れるまでは、そういった「疎外感」を感じる状況が多くあります。

その時にどうして自分が「疎外感」を感じるのかを見ていると、彼らが信頼関係を持っていて、つながりあって団結しているように見えるけれども、自分はその中に入っていない、と感じるからです。

ですが、このところ『聖霊のレッスン』の、この段落を思い出していることがよくありました。

表面的には団結するように見えても、その「団結」の理由は、一人ひとりが自分にとって利益になるものを得るためなのです。それは、自我は、「与えることと受け取ることが同じ」だとは思っていないからです。自我は、自分が獲得するためにのみ与え、「特定の人々のみが自分の愛や関心や赦しなどを受けるに値する」と信じています。すべての人に同じように与えることはしません。

自分の考えを、こういったことを土台としているのかを確認しながら見ていると、個人的に利益になるもの、例えば、同意されること、認めてもらうこと、そういったものを求め、相手に対しても差し出そうとする会話をしているように思います。

でも、この考えは自我に基づいていて、それを強化しようとする意図のもとにあり、私が自我を選択することで自動的に表現されるようになっているもの、ではないかと思えます。

そして、肉体というのは、自我を選択している時は自我の操り人形であり、操り人形同士が考えをやり取りする、というのは不可能なことです。

ということは、人々が信頼関係を持っていて、つながりあって団結しているように見えるけれども、本当はそうではない。操り人形同士が信頼関係を持っていて、つながりあって団結することは不可能なことであるように、人々の関係も脚本とおりに演じられるものであり、そこに意味を持たせる必要があるような隠された意図はないように思えてきます。

そう考えると、疎外感が消えていくように感じます。私が「自分」だと思っている人物が、「信頼関係を持っていて、つながりあって団結しているように見える人たち」とは違う、という訳ではなく、単に「自分」だと思っている人物も含めた全てが映像の中で設定どおりに動いているだけだというように感じるのです。このとき、そこに疎外感があると信じようとすることは不可能だと感じるのです。そして、疎外感を感じていた理由と考えていたものは、本当の理由ではなく、本当の理由とは、私が自我を信じていたことだった、と気がつくのです。

自我同士もコミュニケーションできるのではないかと考える人々もいるかもしれませんが、自我同士は恐れと分離の思考体系ですから、それは不可能です。

この文章は、私にとってはこういった受け止め方になりました。

そして、続きがあります。

以上のことが、自我同士にはコミュニケーションが不可能、という理解でよろしければ、では、自我同士のコミュニケーションではないコミュニケーションとは、どういうことになるのか。

それは、今、自分は真のコミュニケーションをしていないと認識することから始まるのだと思います。そこから、真のコミュニケーションにつながる道が開ける可能性が現れるのではないかと思います。

分離を維持したまま、自分が、今、真のコミュニケーションをしていると信じていたら、否認することにつながる。聖霊につながらず自我を選択したままなのであれば、心に必要な変化は起こらないから、というのが私の見解です。

今、自分は真のコミュニケーションをしていないと認識することができれば、真のコミュニケーションを求めたいという気持ちになることができれば、本当に必要な変化は起こっていくのではないかと思うのですが…。

そして、それがどういう経験になるのかということは

「全く分かりません!」

なのですが…。

( 2020年9月 by ひょうたん)