「祈り」について
『奇跡の原理』(中央アート出版社刊)の原理11(p112〜p117)は「祈り」について触れていて、そこを読んで次のようなことを思いました。
自分ひとりではもうどうしようもないと感じられる状況で、自分ひとりだけでは対処できないから、頼れる存在に助けてほしいと願うことが「祈り」だと思います。自分自身の知覚に頼ろうとするとき、どこかに自信のなさやもろさを感じます。何か大切なことを忘れ、必ず失敗に行き着きそうな怯えがあるのを感じます。
そのときに、外側にある何かに頼ろうとするのではなく、自分自身の知覚の正しさを疑ってみる、聖霊の知覚を共有できるように祈る、ということができるようになりたいと思いました。いまだにそうした状況で、自分自身の知覚の正しさを疑わずにいる、ということが多いように感じます。
例えば誰かに対峙するとき、先に相手の反応を決めていてどう行動するかも決めている、という時があります。そしてそのようにならなかったとき、またはそのようになった時でも、その自分を居心地よく感じられないものがそこにあります。自分ひとりで決断したからこそ恐れが生じ、居心地の悪さ、罪悪感がそこにあるのだということを思い出したいと思います。
自分自身の知覚というものは、常に自分を正当化しようとする気持ちが伴います。そうして何かを得られて幸せになると信じています。それを正直に見て、聖霊に差し出せるように試みていきたいと思いました。

