赦しの初心者
少し前までは「恐れを引きずって過ごしていたけど、少しずつ気分は良くなってきた」と感謝祭のシーズンに因んで感謝をしていたのですが、また重苦しい日々を過ごしています。
重苦しい→晴れやか→重苦しい→晴れやか→重苦しい→・・と繰り返して、もう何シーズン目かわかりません。
少しずつ景色は違っているのですが、トンネルの多い山岳地をドライブしているような気分です。
このところ、誰かとの何気ないやり取りの中で、必ずと言っていいほど「取り返しのつかないことをしたかも。どうしよう。」と薄暗い罪悪感や後悔を感じます。それをよく見ると「特別な関係として、私の瓶の蓋になってくれる人をまた一人失ったのでは?この人は瓶の蓋にはなってくれそうにない。」という心の中の罪悪感との対峙を恐れていることが見えて来ました。
この感情について、恐れと希望が入り混じっていることを感じます。
また、表面的には落ち着いていても、この状況をどのように見たらいいのか、捉えていけばいいのかと迷いを感じて混乱しているということは、聖霊を拒絶しているつもりはないけど、無意識のうちに拒絶しているということに気付かされます。
隠し持っている根深い闇を感じて、自分が赦しの初心者で、だからこそイエス先生/聖霊の導きが必要なのだという謙虚さを持ちたいという気持ちと、この感情の波も、赦しの旅の浮き沈みも、すべて心の選択の投影だと受け入れて、否定せず、咎めずに心の選択と決断へと向かいたいと感じています。
引き続き、無理なく、焦らず、ゆっくりと・・ *゜。

