自分の特別性

私は自分の特別性(自分自身)をとても恥じて憎悪している。
それなのに、特別性を選んでいるわけだから、とても矛盾しているよな、と思います。

ここをもう少し考えると、
自分自身を憎悪することで、その特別性を強化しているのだなと。
自分自身に「罪がある」と強化し続けないと、自分は「特別な存在」ではなくなってしまう。
ここまで考えると、心底バカバカしくなってきます。

時々状況に合わない、猛烈な怒りが湧いてくることがあります。
これはだいぶ前から何度も体験していて、以前は速攻一人になり引きこもりましたが、最近はだいぶ慣れてそれを自覚しながらも買い物などできるようにもなりました。でもその時の気分はかなり悪いですよね。自我の泣き叫ぶ声と共に、八つ裂きにしたいとか、自分を傷つけるイメージが浮かび、「死」とか「殺す」とかの言葉が浮かびます。

それも自分自身への怒りなのは自覚していたのですが、その怒りが自分を「特別な存在」にするという目的に繋がっていることの自覚はなかったです。だいぶここから抜けやすくなってきたかも?しれません。(そうだといいな)

それと聖霊の優しい贖罪の原理を信じられる感覚が増している感じがします。私はその優しさを教わり、思い出していくのだなと思います。

外側を見て、天国にはあり得ない、攻撃、咎め、憎しみ、欠乏などの苦しみの感覚、それらが私の中にある。それは目的があり私が作り出したものである。それを自覚して、聖霊に差し出していくのだなと思います。