〈要チャレ №7〉の要約発表&感想

〈要チャレ№7〉【質問】No.135 他の人々の苦しみは、私の心の中だけにあるのですか?

たくさんのご参加、ありがとうございました(^O^)/

神との分離の信念の結果である苦しみは、外には存在せず、すべての分離した者たちが苦しんでいる。自我の喜びさえも擬装であり、肉体を持った人生の経験の根底にある不幸に触れることは重要である。他人の痛みへの動揺も自分も同じ痛みを抱えていると理解し、どちらも、別の選択をする心を持っていると共感する。それと[同時進行]で、形態のレベルでは、自分や他人を慰めるために役立つと思われることは当然何でも行う。赦しのプロセスを通して罪悪感が取り消され、自分自身の苦しみも、他人の苦しみも、赦しによる癒しが知覚を変容するままに意欲に任せる。彼らの心も同様に建設的であり、彼らの誤創造が彼らを傷つけることはない。

リリー

外には何も無く、他人の苦しみも私の心の中だけにある。

神と子の一体性が分離の夢により砕かれ、肉体と同一化し得るという心の決断は、真理の歪曲に他ならず、全ての苦しみの源となり、これを信じる者は皆苦しんでいる。

故に他人の苦しみで私が動揺する時も、私自身の苦しみがそこに反映されているに過ぎない。

ここでは、私は相手と同じ位痛みを抱えているという理解から真の共感が始まる。そして両者共、自我との同一化という間違いを犯したが、同時に別な選択もできる心を持っていると考える事で、痛みの真の原因が明らかになり、癒しへと心を開く事ができる。

苦しみに対する最も思いやり深い反応は、この癒しへと心を開こうとする意欲である。【300字】

クマ

形態において苦しんでいるように知覚されるか否かにかかかわらず、自我の思考体系を受け入れ、分離して肉体と同一化することを選択した人は、誰もが心の根底に罪悪感を抱き苦しんでいる。この世界における快楽や苦悩の経験は、分離の信念がもたらす苦しい結果に気づかせないようにするためのカモフラージュである。

私が「苦しんでいる他者」を知覚して動揺する時、そこには私自身の心の苦痛が反映されている。そのとき、その人も自分も自我を選択するという間違いを犯しているということや、どちらも別な選択をすることのできる心を持っているということを思い出すことが重要。

形態のレベルでは自他を慰めることに役立つことは何でも行えばよい。

モリヤマ

すべての苦しみは、「神がわが子と共有している一体性が、分離の夢により砕かれることがありえる」という信念によって引き起こされている。形態がどのように見えても、分離を信じている人は誰でも苦しんでいる。重要なのは、肉体を持った人生の経験の根底にある不幸に触れて、分離して肉体と同一化する、すなわち自我を選ぶという心の決断がすべての苦痛を引き起こしていると気付くことである。他の人々の苦しみにより動揺するというのは、自身の苦痛がそこに反映されているのであるから、苦痛の原因は自我を選択したからであると理解し、赦しのプロセスを通して、分離の夢から目覚めていけば、すべての苦しみから解放されるように導かれる。

Sakurah

苦しみは外にあるわけではない。

知覚されるものは「自我に耳を傾けるか、聖霊に耳を傾けるか」心の選択の反映です。

「分離している」「苦しむ」ということは同じで分離した者達は苦しんでいます。

人生の浮き沈みや快楽苦悩は、苦しい結果に気づかせないための自我の企みの一部です。

喜びさえも苦しみのカモフラージュ、自我の戦略です。

コースの学習の重要な部分は根底にある不幸に触れること、他人の痛みを知覚、動揺による苦しみの源がそこにあり、あなた自身の苦痛がそこに反映されています。

コースの究極のゴールは、私たちが分離の夢から目覚めることにより苦しみから解放されるよう私たちを導くことです。

のっち

『奇跡講座』によると、すべての苦しみの源は分離という幻想を信じたこと(=分離して肉体と同一化するという心の決断)にあり、形態上どう見えようと、分離を信じる者すべてが苦しんでいる。他者の苦しみによって自分が動揺するのは、自身の苦痛が反映されているからである。この理解から、分離の象徴である肉体を持つ経験の根底にある不幸に触れる時「皆が同じ間違いをしていると同時に、別の選択をする力がある」と認識する真の共感が始まり、痛みの真の原因が明らかになって、真の癒しへと心が開かれる。そして、誰のであろうと「苦しみ」に対する最も思いやりのある反応とは、赦しによる癒しが知覚を変容するに任せようという意欲である。

ナイト

苦しみは外側の世界にはない。他の人々の苦しみに動揺した場合、自身の心の中の苦痛がそこに反映されているということ。神の子が、肉体の中に生きる存在として限定されてしまうことが可能だと信じたことから生じている結果ゆえに、誰もが苦しんでいる。苦しみに対する思いやりのある反応とは、赦しによる癒やしが知覚を変容するままに任せようという意欲である。

sin

苦しみは「外」にはない。なぜなら外には何も無いからである。「分離している」ということは「苦しむ」ということと同じことなので、分離を信じているものは皆苦しんでいる。

他の人の苦しみも自分の苦しみも、自我と同一化するという心の決断による苦痛の反映である。

赦しにより、幻想を信じる信念が弱まり、分離の夢から目覚めることで、すべての苦しみから解放されます。

JO1

    

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