〈要チャレ №9〉の要約発表&感想

〈要チャレ№9〉【質問】No.139 亡き娘は幻想だったのですか?

たくさんのご参加、ありがとうございました(^O^)/

イエスは、「あなたが亡くなった娘さんについて、今どのように考えているかは、あなたの心の中で、その関係のために自我の目的か聖霊の目的かのどちらを支持する選択したかを反映している」と教えます。すなわち、「分離と肉体と死は実在する」か、「一人ひとりのアイデンティティは共有されていて、死は心に何の影響も及ぼさな」かのどちらかです。そして彼は、あなたが「そういったこともありえるかもしれない」と思ってみることだけを求めています。ですから、「もっと高い境地から眺める」ためには、まず、「自我のゴールを推進するために、あなたが娘さんの死をどう使っているか」を見極めることです。そして、その目的を赦しの目的へと変えるために助けを求めることができる、ということを理解することです。『奇跡講座』が私たちに求めているのは、人生におけるすべてのことについて、「これには別の見方がある」ということを、できる範囲で思い出すことだけです。それができるなら、そのとき何が起こっているか、または既に何が起こったかにかかわらず、私たちは平安を感じることができるようになります。

マーヤ

私たちが知覚しているすべてのものは、私たち自身が作り出した幻想、ここで言う“私たち”とは、自我の思考体系と同一化している心のことであり、心理的/肉体的に自分だと思っている人間のことを指してはいません。また、一人の個人が別の個人の存在を想像しているということではなく、この話は別の次元の話であり、心のレベルまで遡ります。そのレベルとは、本来は抽象性の状態にありますが、その心が抽象性を覆い隠して、その代替えとして、具体性に束縛されている自己というものを作り出してしまいました。そして、その心が自我の思考体系と同一化するとき心は分裂していき、互いに関わり合う個人たちへと断片化し、身体的/心理的なレベルで失望するかもしれなくても、それでも満たさなければならない“必要”を経験するのです。“もっと高い境地から眺める”ためには、まず、自我のゴールを推進するために、娘さんの死をどう使っているかを見極めて、その目的を赦しの目的へと変えるために聖霊の助けを求めることができることを理解します。それは、母としての愛情が薄れることなく、ただそうした体験に、これまでと異なる特質が加わり、喪失感は徐々に消えていくでしょう。

sin

私たちが自分が作り上げたアイデンティティについて語るとき、私たちとは自我と同一化した心のことで、人間のことではない。自我は、再び心自体に焦点を合わせないように、分離と結果の責任を外に負わせる必要があり、存続のために人間関係を作り出す。これが投影分離の夢であり夢を見ている心は自覚がない。奇跡講座の主眼は、自分は心で選択し続けているという自己認識を取り戻せるよう助けることで、自我を訂正するもう一つの思考体系真のアイデンティティであるキリストの記憶に導くために、人間関係がどんな目的に役立っているかを把握することを強調する。形態から内容への移行は、自分の基盤が脅かされこれまでのすべてが間違っていたと感じるため抵抗を経験する。小さなステップを一歩一歩進み、一足飛びに霊性に戻れると考えないこと。奇跡講座が求めているのは、別の見方があるとできる範囲で思い出すことだ。娘さんがいなくなって寂しいと感じることは間違っていないが、自我のゴールのために娘の死をどう使っているかを見極め目的を赦しへと変える助けを、求めることができると理解することで、これまでとは異なる特質を加えると、喪失感は徐々に消えていく。

リリー

『奇跡講座』が「私たちが知覚するものは、私たち自身が作り出した幻想だ」と言うとき、心のレベル(抽象性のレベル)における事実について述べている。だが私たちは自我の思考体系と同一化しているため、一個人としての自分が、自分の知覚するものを作り出していると言われているように誤解しがちだ。

自我の思考体系は、自分という存在を存続させるために、投影により、自分には制御できない他者や物事からなる分離の世界を作り上げ、上記の事実を隠蔽している。

『奇跡講座』は、自我の思考体系を訂正し、「自分は心であり、絶えず選択をし続けている」という自己認識を取り戻せるように私たちを助けてくれる。だがそれは、一足飛びに自分の霊性へと戻る道ではなく、自分の内にある「抵抗」を自覚しつつ、ゆっくりと進んでいく道である。

母親が亡くなった娘を偲ぶのは当然のことである。求められているのは、故人との関係を、自我か聖霊かどちらの目的のために用いることを自分が選択しているかを認識すること。そして、聖霊が教えるように「ひとり一人のアイデンティティーは共有されていて、死は心に何の影響も及ぼさない」ということが真実かもしれないと思ってみること。

モリヤマ

「私たちが知覚するものはすべて、私たち自身が作り出した幻想である」の「私たち」とは、自我と同一化した心のことを意味しており、身体的/心理的に「自分」だと思っている人間のことを指しているのではありません。

とはいえ、「自分のアイデンティティは心である」ということを理解できる人は殆どいません。なぜなら自我が「自らの生命を存続させる」という目的のために投影を使い必死に隠しているからです。

心の中には隠されてしまったもう一つの思考体系があり、『奇跡講座』は私たちに「自分は心であり絶えず選択をし続けている」という自己認識を取り戻せるように助けてくれます。

しかし自我と同一化している私たちは自分の基盤が脅かされていると感じ、〈形態〉から〈内容〉への移行に対して途方もない抵抗を経験するので、小さなステップで一歩一歩進むことが必要です。

『奇跡講座』が私たちに求めているのは「これには別の見方がある」ということを思い出すことで、これは常に分離と葛藤を存続させる結果になる自我のやり方とは正反対であり、私たちは自我の目的を赦しの目的へと変えるために助けを求めることができるということを理解することです。

JO1

私たちが知覚するのは「自我の思考体系と同一化した心」が作り出した幻想である。その時、心が分離を実在のものとし、その分離を存続するための「投影」が、「自分が作り上げたアイデンティティ」を生み出している。それを自覚するために心のレベルへ戻る必要がある。

『奇跡講座』では、「自分は心であり、絶えず選択をし続けている」という自己認識を取り戻すために、自我の思考体系を訂正するもう一つの思考体系を思い出すことを教える。イエスは、その方向へ導くために、人間関係がどんな目的に役立つのかを把握することの重要性を強調する。自我と同一化している私たちがその方向へ進み、自分の霊性へ戻ろうとする時、自分の基盤が脅かされ、すべてが間違っていたと感じるため、恐れが大きいので、その方向へ一歩一歩進むことが必要である。

イエスは、亡き娘さんとの関係を考える時、心の中で自我の目的と聖霊の目的のどちらを選択したかが反映されることを思い出し、後者である「一人ひとりのアイデンティティは共有されていて、死は心に何の影響も及ぼさない」を選択すれば、娘さんの死を赦しの目的へと変えることができて、喪失感は消えていくと教えている。

Sakurah

「知覚は全て私達の幻想」の私達とは、人間ではなく自我の思考体系と同一化した心を指す。

心が心に焦点を合わせ、自我との同一化の選択に支払った無価値な代価に気付かせず、分離の責任を外的な存在に負わせる為に、無数の人格を作り出す。

自我の存続の為には意識的に選んだこの自我の目的を隠蔽し続ける事が特に重要であり、投影がこれを達成し、心を忘れた人格を生み出す。これが分離の夢だが、心自体はこれを自覚していない為、私達が決断の主体である認識を取り戻す事がコースの主眼だ。

故にイエスは人間関係上に自我の目的を把握する事を強調する。しかし〈形態〉から〈内容〉への移行を、自我と同一化した私達はその基盤が脅かされると感じ激しく抵抗する為、一歩づつ進む事が必要だ。

母親が亡くした娘を寂しがるのは当然で、娘の死に反映されるのが「死が実在する」自我の目的か「個のアイデンティティは共有され死は何もしない」聖霊の目的かを認識する事が重要であり、イエスはそれもあり得ると思ってみる事だけを求める。

娘の死を自我の目的に使っている事を見極めて、赦しへと変える助けを求めるのだ。これで娘への愛情は薄れず、ただ喪失感が徐々に薄れるだろう。【500字】

クマ

「知覚するものはすべて、私たち自身が作り出した幻想である」という場合の「私たち」とは、私たちが身体的/心理的に「自分」だと思っている人間のことではなく、「自我の思考体系と同一化した心」を指す。心が「自我との同一化は間違いだ」と気づくことを避けるため、自我と同一化した心は、関わり合う個人たちへと分裂断片化することで、それらが分離状態とその結果の責任を負うよう仕向け、自我を存続させる。心の中で意識的に選ばれた「自我の存続」という目的を隠蔽し続けるため、「投影」という心の力動が、心を忘れた個別の存在たちによる被害者たちと加害者たちの世界を作り出す。これが、夢を見ている心自身が、そのことを自覚していない「分離の夢」である。『奇跡講座』の主眼は、私たちが「自分は心であり、絶えず選択をし続けている」という自己認識を取り戻せるよう助けることで、私たちは、人生におけるすべてについて「これには別の見方がある」とできる範囲で思い出すよう求められている。娘の死を、自我の目的のために使う代わりに聖霊の目的のために使えるよう、助けを求めることができると理解していくと、感じている喪失感は徐々に消えていくだろう。

ナイト

私たちが「自分が作り上げたアイデンティティー」というものについて語る時、個人レベルの事について話しているのではありません。別次元の話、心のレベルの話です。

また、私たちとは「自分」だと思っている人間のことを指しているのではなく、「私たち」という言葉は、自我の思考体系と同一化した心を意味します。

自我は分離を信じており、心は分裂、個人たちへと断片化するということです。

そうした関わり合いにより分離の実在性が裏付けられ自我の存続のため投影により自我の目的を隠蔽し続け個別の存在を生み出し分離の夢を見ています。

人生における全てのことについて、これには別の見方があるということをできる範囲で思い出すことだけです。

イエスを教えているのは、今どのように考えているかは、あなたの心の中で自我の目的が精霊の目的化のどちらを選択したかを反映しているということ分離と肉体と死は実在するか、死は心に何の影響も及ぼさないかどちらかということです。

高い境地から眺めるためには、目的を自我の目的か赦しの目的か、見極め理解することです。

のっち

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