勝手に展開を決めてはいけない
春ごろに体調を崩し、それから数ヶ月間、誤魔化しながら過ごしていたわけだが、いよいよお手上げかな?と思う状況になった7月初旬の話。
少し遠方にある、かかりつけの病院は検査機器がない診療所で、近いうちにどこかでちゃんと検査しなきゃなーと思っていた矢先のことだった。
かかりつけではない近所の小さな総合病院に、駆け込む形で診てもらうという状況になった。向かう車の助手席で、病歴が長い私は、想定する展開と今選んでいる治療についてうまく伝えられるだろうか、そのためにはどうしたらいいのだろうかと考えていた。
その時、《 勝手に展開を決めてはいけない 》という言葉がポンっと浮かんだ。
そうだった、「計画は防衛」だった。感じる不安や想定する展開に備えようと計画していることは、この世界の出来事を実在させ、しっかり「防衛」していることだ。この「防衛」は、心であることを忘れ続けるための自我の策略。正気の振りをした狂った自己攻撃だと思い出した。
ならば、私のすることは、これ以上この出来事を自我の目的のために使わないように聖霊に預けることだけだ。
そう思うと、とても気が楽になった。
病院に着いて診察を待つ間も、診察をしてもらう時も、検査を受けている時も、緊急入院することになった時も、翌日内視鏡で緊急手術を受けた時も、現状の説明を聞いている時も、不安を感じた時はいつも「展開を自分で決めない。計画しない。自我の目的のために使わない。」と聖霊を思い出した。
そのおかげで、穏やかに時間を過ごすことができた。
聖霊はあなたから特別な関係を奪うことはせず、それらを変容させようとする。[T-17.IV.2:3]
あなたが何かを少しでも必要としている限り、聖霊はあなたからそれを取り上げることはしない。それでも聖霊は、あなたが必要とするものはみな一時的なものだと知っており、あなたがすべての必要から一歩退いて、そのすべてが満たされていたと悟るまでの間、存続するだけだと知っている。したがって、聖霊は、自らが供給するものには何の思い入れもないが、あなたが時間の中にぐずぐずととどまるためにそれらを使わないようにすることだけは配慮する。[T-13.VII.12:5-7]
今も、心の私は完全に目覚めてはいないから、眠りの中で夢を見ているわけだけど、目覚めるまでの間、私が必要とする限り特別な関係は続く。
真理から特別性を守るために「病気」を必要としているなんて、正直自覚はない。だけど、取り上げられたくない、持ち続けたいとさえ思っている家族との特別な愛の関係と同じように、あまり歓迎しない病気という経験も取り上げられることは(まだ)ない。私にとって、どちらも必要を満たすために等しく重要なものなのだ。
それでも、今回、「計画は防衛」だということに気づけたことで、「苦痛を伴う夢から、心の苦痛が取り去られた夢は、少し気分がいい夢になる」という心の変容を体験できたように思った。
治療は応急処置なので、形態としての「問題」は解決していない。「問題」があると見える形態は特に変わっていないわけだけど、「形態がどのようであっても、心の平安は保つことはできる」ということを、またひとつ、知ることができた気がした。
こうやって、何も取り上げられることなく、ゆっくり、ゆっくり(焦れったいくらいゆっくり)幸せな夢へのステップを進んでいるのだ。
どちらの目的のために関係を活用したいのかと思い出しながら、一歩一歩着実に、必要というものを感じている心を、手放していきたいと思った。
( 2024年8月 by シャンティ )

