夢について①
夢についてあれこれ調べてみました。
睡眠中に見る<夢>はとても混沌としている。この<夢>のなかでは、私以外のあらゆる人物や舞台設定までもが私(の意識)の産物なのでした。<夢>から覚めたとき、これが<夢>であったことと、今は“現実”だと理解する。
この睡眠中みる<夢>について、テキストをあたってみる。
夢の中には、まるで実在するかに見える世界が現れてはこないだろうか。だが、その世界とは何なのかを考えてみなさい。それは明らかに、あなたが眠る前に見ていた世界ではない。むしろそれは、その世界を歪曲したものであり、あなたがそれより好ましいと思ったものだけを中心に設計されたものである。[T-18.II.1:1-4]
睡眠中の<夢>を見ているとき、それは実在していると信じて疑わない。でも上記でイエスが言うように私の意識が見たいように設計したものなのだ。そしてどんなに怖い夢をみていたとしても、無意識で“好ましい”と思っていることなのですね。
この<夢>から覚めたとき、現実と<夢>は別だったとホッとする(がっかりすることもあるか^^)。
目が覚めれば、あなたは夢を本気にしない。なぜなら、夢の中では現実が途方もなく侵害されていたという事実が明らかになるからである[T-18.II.2:3]。(中略)あなたは、睡眠中に見るものと目覚めていて見るものとの相違を、懸念すべきことだとは感じていない 。[T-18.II.3:1]
でも本当は、“睡眠中に見るもの”と“目覚めていて見るもの”には相違がない。どういう意味において相違がないかといえば、
夢があなたに示しているのは、あなたには自分が望む通りに世界を作り出せる力があり、あなたは自らそれを望むがゆえにそれを見る[T-18.II.5:1]
という意味において相違がないのかなと思いました。
以上を踏まえたうえで、目覚めていて見ているもの(この現実と思って見ているものを[夢]としてみると、夢の主人公である私はもちろんのこと、家族や上司や友人、はてまたニュースの出来事、天気、過去・現在・未来の事象といったものに至るまでが自分の意識(分離した神の子の“集合的な”心)が 好ましいと思ったものだけを中心に設計されたものとも言えるでしょう。
「赦しのカリキュラム」に関連箇所を見つけたので引用します。
換言すれば、私たちの世界や人生は、私たちが見ている夢だということです。それは、ちょうど、私たちが睡眠中に見る夢が、その登場人物や出来事も含めてすべて、夢を見ている私たちの心の中だけに存在しており、それ自体もまた、ある意味では幻覚症状にすぎない、というのと同じです。(p175)
ワプニック博士は睡眠中に見ているものも、今見ているものも、形の上では違っていても分離の夢という意味では同じものとしています。
夢について②に続く

