運転中に出てきた「恐れ」について

車で仕事に向かう途中、とてつもない恐れが出てきました。

曲がりくねった山道で、バックミラーに映った後続車を見て、恐れにとらわれたのです。ごく普通の乗用車です。スピードもゆっくりです。車間距離もかなりとってくれています。それなのに、それがとてつもなく恐ろしいのです。

怒り狂った神に追いかけられている。そのような感覚です。とてもわかりやすい投影です。少し落ち着きました。

でも、なんで今そんな恐れにとらわれる?

仕事の待ち合わせの時間に間に合うか気にしているのに気がつきました。無意識に先のことを気にして運転していたのです。「未来」を気にして「恐れ」がもたらされた。自我の時間概念を抱くということが実は一体どういうことなのかを実感しました。

後続車は途中で曲がり横道へ入っていきました。しかし、今度はまわりの木々や空気感がとてつもなく恐ろしいのです。自分はたった一人放り出されたという感覚です。そしてどこへ向かっているのかわからないという感覚です。

聖霊に意識を向けて、落ち着きました。そして、待ち合わせに遅れたくないという思いの根底に、私だけが救われたいという思いがあることに気づきました。

選び直せるように助けを請いました。かなり落ち着きました。薄く防衛膜が剥がされるような感覚がありました。でも、まだちょっと緊張していたい思いがあるのがわかりました。

山道を運転中、まわりの木々や空気感から感じた、たった一人放り出されてどこへ向かっているのかわからないという恐れのなか、聖霊に意識を向けたあの感覚は、赦しのステップ2で心を深く見ていく感覚と同じような感覚でした。

こんな風に内側と外側の同一性を体験するとは・・・少し驚きました。

神との関係を実感していくことと内側と外側の同一性を実感していくことは同じことだという気がしてきました。まだはっきりしていませんが。

(2020年6月by pallaksch)