プロセスにおける必然的な経験
今日は、「用語解説」の「否認/否定 [denial]」を読んでみました。
否認/否定 [denial]
間違った心の状態における意味: 罪悪感を作り出した決断を自覚の外に追いやることによって、罪悪感を避けようとすることであり、それにより罪悪感が訂正からも贖罪からも遮断されてしまう。「抑圧」とおおよそ同義語。「神ではなく自我が私たちの源である」という自我の信念を保護するために用いられる。
正しい心の状態における意味: 誤りを否定し、真理を肯定するために、すなわち「真理の否定」を否定するために用いられる。
JACIM本館 用語解説 は行
なるほど~、と思いながら下の方に目をやると
不安定な時期 [periods of unsettling]
私達の罪悪感や恐れは、聖霊が用いる赦しの機会を通して、それらと取り組むことがなければ取り消せない。この、聖霊またはイエスと共に私達の心の中を正直に見ること—自我が勧めるのとは逆のプロセス—が、<間違った心の状態>から<正しい心の状態>へと移行するプロセスにおいて、私達がほとんど必然的に経験する<不安や心配の時期>をもたらすことになる。
JACIM本館 用語解説 は行
と書かれていました。
「真理の否定」の否定については、それをタイトルとしたビデオ講和があるので、改めてそちらも見てみました。
テキストの12章で・・・
「奇跡を行う者の務めは、真理の否定を否定すること」であると述べられています。
これは、「自我の取り消し」のプロセスとは何かを、簡潔に表しています。
また、『奇跡講座』の中心的フォーカスの要約でもあります。
私たちに求められているのは・・・
自分たちの本性が愛であると思い出すとか、
真理を探究するということではなく・・・
私たちに求められているのは、自我を見つめることです。
V#6: 「真理の否定」の否定
つまり、「真理の否定を否定すること」は「自我の取り消し」のプロセスに他ならず、その途上で「不安定な時期」を経験することは避けられない、ということになる。
このことは、これまでの実践において、自分が不安や心配を経験していた理由を、明快に説明しているように思えました。
