聖霊という存在について
「聖霊」という存在は、奇跡講座という妥協なき一元論の教えの中にあって、「実相」と「幻想」の世界を繋いでくれる、コースの肝、核心、要なのだと思います。
そして、このように決定的に大事な概念であるのに、気をつけないと容易に誤解されてしまう危険性もあると思いました。すなわち、別館のJQA#5にあるように、
時々このコースの「聖霊」が、まるで魔法使いか占い師のように、
願いをかなえてくれたり日常的なアドバイスをしてくれたりする「内なる声」と
解釈されることがあるようですが、ワプニック先生は、いつも、はっきりと
次のように述べていました。「そのようなものとして聖霊を使うのは、このコースの甚だしい歪曲である。
JQA#5: 具体的な問題への答えについて
そうしたことを求めている人は、わざわざこの分厚いコースを購入して
苦労して難しい内容を理解しようとするには及ばない。世の中には、
自分の「内なる声」にアクセスして、ありとあらゆることを教えてもらえる
ようになる方法を教えるスピリチュアルなシステムというものは、
他にいくらでもあるのだから、それを学びたい人は、そうした教えから
学べばいい。『奇跡講座』はそのようなコースではない」と。
とにかく私たちは具体的な答えが大好きなので、仮に具体的な答えをもらうことはあるにせよ、それは奇跡講座の本質ではない、奇跡講座が教えるのはあくまで「具体的な愛の体験」なのだと思いました。
さらに、このQ&Aでも触れられていますが、ビデオV#1「二つの声の聞き分け方」も参考になりました。
要点:
● 『奇跡講座』の「聖霊の声」とは、赦しを助けるためのもの。
● 「聖霊の声」は、具体的なことについての具体的なアドバイスを与えてもらうためのものではない。
● 具体的な答えを求めるのも与えるのも、自我である。
最後に述べられている「隠された意図」を明るみに出していくことが、
V#1: 二つの声の聞き分け方
このコースの実践の重要な部分です。
私たちは(自我の状態で)「自分で自分を赦す」ことはできない、すなわち、赦すことは聖霊の役割であり、私たちに求められてるのは赦しの第2ステップまで、でも逆に言えば、第2ステップまでは自ら行う必要がある、ここらへんの力配分?、全部自分でやろうとしてもいけない、全部聖霊に丸投げもよろしくない、を心に留めておくことも大事だと思いました。
