そのための助け
私たちは日々この世界に生きていながら、毎日さまざまな問題に遭遇する。
もちろん私も、日々、些細なことから、生活を左右するであろうことに至るまで、心が動揺するネタは尽きない。
そして気づいたのだが、私は『奇跡講座』を学んでいるのにもかかわらず、動揺することが起きたとき、その多くの場面で『奇跡講座』の教えを、聖霊の存在をいとも簡単に忘れ去っている、ということだ。そして問題(のように思える)に対して、独力で対処し格闘している。すなわち問題を実在化させている。
質問:実生活の中の状況では、どこまでそれをやればいいのでしょう?
回答:聖霊またはイエス、あるいは、別の名前で呼んでいる人々もいるかもしれませんが、とにかく「内なる教師」に向かって、「私が何をすることをお望みですか?」(W-pⅠ.71.9:3)と言うだけです。けれども、その相手の問題によって動揺している自分自身を感じているなら、その問題がどのようなレベルのものであれ、自分が何をすべきかを聖霊に尋ねる前に、まず、あなた自身の知覚が癒やされるように、そのための助けを聖霊に求めなければなりません。(中略)まず最初に聖霊に頼むのは、あなた自身が自我による見方から聖霊による見方へと移行できるよう助けてほしいということです。そして、その後で、「私が何をすることをお望みですか?この瞬間に、私が行えるもっとも愛ある形の行動は何ですか」と尋ね、それを行います。
「奇跡の原理」P209
『奇跡講座』が求めているのは、まず最初に私たちの「知覚が癒やされること」なのだと思った。そのためにこそ、聖霊をイエスを毎日毎時毎分刻一刻思い浮かべるのだと思った。
そして、どのように行動すべきかは「その後」のことなのだと、そして、もし正しくイエスに耳を傾けているのなら、どのような行動を取ろうが構わないのだと思うし、しかしその行動が本当にイエスから来るものなら、自然に「親切な、柔和な、愛ある形」のものとなるのだろうな、と思った。
