一人でできるもん!

身内の不幸があったり、家庭内で修復不可能な問題が浮上したようにみえたりのこの頃。

一番堪えたのは、自分の中に、非常に利己的な、自我の思考体系を見ること。

自分の身体の存続に益なのか、損なのか

特別感をくすぐるのか、そうでないのか

どれだけ奪えるのか、奪えないのか

それだけで判断している

おなかの底が、ひんやり冷たくなるような、非情さ。

以前から、ちらちらしていたにもかかわらず、都合良く見過ごしていた部分と、その部分に対する非難や咎める気持ち。

これを一人で見続けるのは、耐え難いよなぁ、と思う。

一人でやれる!みたいな意固地さでぼんやりしてみたり、しんみりしてみたりする。

自己概念Bを手放したくないし

自己概念Aを直視したくないし

何が何でも!赦したくないのだなと思う。

今日、小冊子「思考の逆転」の、赦しの三つのステップを読み返した。

神の愛に支えられていながら、奇跡か殺害かの選択を難しく思うものがいるだろうか。(T-23.Ⅳ.9:8)

「思考の逆転」P120より

聖霊に支えられながら、赦したくない気持ちを見てみると

「個でいたい」という頑なさが、少しゆるむように感じた。