形象作りが止まらない

この数日間の私を振り返り、心の中でずっと起こり続けていることを少しだけ見ることができました。

頭の中での形象作りが止まらないのです。

考えが次々に浮かんできて、止まらないのです。

頭の中で、自作自演の劇が止まらないのです。

2か月前、何の前触れもなく、職場の閉鎖が決まり、新しい職場に飛び込んだものの、一日で辞めてしまいました。その職場の体制に危険を感じ、とても責任を負いきれない、と思ったからです。

そして、次の職場は、先日、面接に行ったところに一応は決めてきたのですが・・・その後から、猛烈な形象作りが始まって、一日中止まりません。

そして、この数日、ずっとずっと、この件に関して、手を付けられないような感じがしていました。

形象作りが収まらない中で、夕方になって、形象作りに気が付いたら、その都度、洗い物を中断して、ちょっと腰をおろして、自分の心を見ることにチャレンジしました。

「数日かけて、ゆっくりと心を見ていけば良いのだから、今、見れることろまで、見ていけば良いのだから・・・。」という気持ちと共に、イエス先生と手をつないでいるような気持ちで心を見ていきました。

いろいろな考えが浮かんできました。

・私が若いころ、あの人に対して行った指導・・・という名目のもとで行っていた投影。

・あの頃の職場で、私が、あの人に向けて行った投影。

・あの頃の職場で、あの人の言動に対して、私が投影した、あの日々。

・あの頃の職場で、あの人に投影したあの罪悪感。

・あの頃の職場で、業務改善の時にも投影したこと。

まるで、これまでの、すべての職場での、心にひっかっかったこと。特に、若いころ、バリバリと働いていた頃、とても意地悪く、きつく、相手が逃げ場のないような指導をしてきたこと、辛らつな言葉を用いたことや、すぐに相手をジャッジしてきたこと(ひどい有様です・・・ 本当に、もう一度、やり直したいです・・・)が思い出されました。

また、逆に、自分が標的にされ、ひどくヒステリックな上司との関係に悩みぬいたことも思い出されました。

職場でたくさんの業務改善に取り組んできたこと。その時のスタッフとのやり取り。会話。ジレンマ。葛藤。達成感。〈特別性〉。たくさんの場面が浮かんできました。

私が自分のことを、人によって態度を変え、口では立派なことを言い、口は立つけれど、上手に手を抜き(これは「手を抜けるところは抜いて」という意味ではなく、もっと狡猾な手抜きです)、いつも〈特別性〉に根差し、いつも誰に対しても心の中で非難している自分が浮かんできました。

面接であの人に対して感じた違和感、引っかかり、面接であの人が見せた言動、表情、言葉のトーン、含みを感じさせるような表現、電話対応から感じられた苛立ちの気配。言葉と言葉の間に生じる空白の間に感じる何とも言えない違和感。数日前に面接に行ってから感じ続けているこれらの感情。

先日の面接で感じたこれらのことをきっかけにして、何というか、私は、これまでのすべての職場で投影してきたことをいっぺんに思い出し、それとは自覚しないままに投影して、赦されないままにしてきたすべての罪悪感がいっきに呼び起こされたような感覚になっていました。

それで、今、着地しているのはこんな気持ちです。

「これは赦しの機会なのだ」

「あの時のことを赦す機会なのだ」

「新しい職場に入ってから赦すのではなくて、今、この瞬間に赦す機会が訪れているのだ」

「癒していけるのかもしれない。私を癒せるのかもしれない。あの面接した人に感じている、猛烈な、ものすごいこの感情・・・。あの人に対するこの気持ち。この気持ちは、やさしい気持ちに変容するのかもしれない。別の見方ができるようになるのかもしれない。あの建物を見て、別の見方ができるのかもしれない。」

この件について、この数日、まったくどうすることもできずにいましたが・・・

やっと、心を見ることに取りくみはじめることができて、クルリと逆方向を向いたような感じもしています。

( 2022年7月 by maru)