最初はこれだけで充分
『聖霊のレッスン / 「奇跡講座」テキスト第6章Vの解説』を読んでいるところです。
私たちが、〈正しい心〉を選んで聖霊につながっている時には、その思考が私たちの思考になるんだなあ、と感じています。
〈正しい心〉につながることで、「祈り」の意味が全く違うものになるんだなあと。
私たちが〈正しい心〉で聖霊につながっている時には、他の人の選択を無理やり変えさせようとしたり、彼にその意思がないのにその意思を誘導しようとしたり、彼にその意思がないのに考えを提示したり、そういうことを私たち自身もしようとしなくなる、ということなんだなあと思いました。
それはまさしく、聖霊の姿勢そのもののようだ、と感じました。
では、聖霊の思考を教えてもらいたいと思わないとき、聖霊は何をしているのかというと、ただ、私たちと一緒に居てくれるのですね。無理やり教えるということはしないけれど、でも、私たちから離れてはいない。離れられない。ただ、私たちと共にあるのですね。
私たちが〈正しい心〉で聖霊につながっている時には、私たちもそのような姿勢で彼に向かうことができるはずなのですね。
このことを実践、練習することは本当に難しいと思えていますが・・・
もともと最初からすぐに実行できるはずのないレッスンを与えられて、とにかく最終目的地はそういうところなのだと理解し、なんとか、それを実行し始めてみようとして、今までとは逆の方向を向く ー 最初はこれだけで充分です。
『聖霊のレッスン / 「奇跡講座」テキスト第6章Vの解説』59〜60ページ
しっかりと学習して知的な理解を深めれば、自分が聖霊とつながった状態にいない、ということを認識しやすくなる、ということで、知的に理解するということがとても大事だと思いました。

