離してしまうのは、常に私
「聖霊のレッスン / 「奇跡講座」テキスト第6章Vの解説」からの引用です。
p.57-58
『奇跡講座』が目指しているのは、 思考体系自体をまるごと入れ替えるということなので、厳しさの性質が少し違っています。
「できるところだけ選別して」とか、「自分に都合がいいところだけ」ではなく、「まるごと」だということ。
これがどんなに難しいことか。
つい先日、かなり意識的に本当に微細なところまで例外を設けないようにしているかという視点を持って、日常を過ごしながら自分の内に湧き起こることなどを見ていきました。
すると短時間のうちに、「あっ、これを外そうとしていた。ひょっとして、これも?」と気付きました。
本当に短時間のうちに幾つも見つかりました。
意識して見ていなければ、通り過ぎてしまうことだらけなんだなと思いました。
だから、p.58で引用されているような注意が必要なのですね。
このコースを学ぶには、あなたが抱いている 価値観のすべてを疑ってみようとする意欲が必要である。一つでも隠されて曖昧にしておかれるなら、それはあなたの学びを危うくするだろう。
(T-24.in.2:1-2)
ところで、この近辺を読もうと「テキスト」を開いたら、この引用箇所の上段に、「神は失敗しない」とあって、「おお! 何か、かっこいい!」とにやけてしまいました。(*^_^*)
話を戻します。
「旅路の責任者」(T-6.Ⅴ.6:3)は、決断の主体としての私。
「ただあなただけがその役にとどまらなければならない」(6:3)
イエスでも聖霊でもなく、私が。
とても責任重大なことに思えて、じんわり汗ばむ気がしますが、初めにすることとしては、自我と一体になっていても何一つうまくいかない(真の平安は得られない)のだということを認識すればいいのだと思いました。
そして、聖霊を選んだ後のことは聖霊にお任せするとして、私は、「絶えず、例外を設けずに」聖霊を選び続ける努力をする、イエスに助けを求めるようにする。
それが、「その役にとどまる」ということなのではないかと思いました。
p.61
「その旅路の責任者」(6:3)の役にとどまり続ける限り、必ず助けと導きがあることが約束されています。
(A:8-9)
しかし、最初のステップを踏み出したことによって、彼らは助けを得られるようになる。自分ひとりでは完了できないものを選んだなら、彼らはもはやひとりではなくなっている。
そして、その役を引き受ければ、必ずイエスと聖霊は助けてくれる。
イエスと聖霊は手を離さない。離してしまうのは、常に私のほうです。
だから、「ただあなただけがその役にとどまらなければならない」(6:3)と言っているのかなと思いました。
(2022年8月 by Susan)

