イエスが求めているもの
(JACIMフォーラムでの、ある日の対話)
(心の中の闇を見つめたときのAさんの投稿より)「あんなに恐ろしいところに、たとえその先に天国があるからといって、自ら望んで行こうとは、とてもじゃないが思えません。」
Aさんのこのコメントについて、ちょっと書いてみます。
内側から突然ぐわ〜っと沸いてきた強烈な恐れを初めて感じた時、
妙に納得したのです。
こんなに恐ろしいものがあるのなら、誰だって自分の内側なんて見たくないはずだよな、と思ったのです。
その後も数回、同じような恐れを感じて、ほんの短い間とはいえそれは恐怖の体験だったのですが、
私が息苦しさについて考えていた時、どんなに苦しいだろうか、とそれを感じ取ろうとしていた時に起こったことなので
それをやめればいいんだ、と思い、苦しみについてわざわざ考えを巡らせることをやめてからは経験していません。(今のところは)
ゾワっとする恐れを感じ、それが長く続いてどうにもならない、ということもありました。
そういう時は切羽詰まっているので、どうやったらその恐れから気を逸らせるか、
避難することを考えました。
内側と向き合うのは落ち着いてからすればいいことで、そのような状態の時に
無理に向き合おうとすべきではないと思ったし、恐ろしすぎて私にはできませんでした。
こういう時は体に集中すればいいことを体験的に学びました。(私の場合の話です)
体が気持ち良く感じることをするとか(背中にツボ押しマットを置いてコリをほぐすとか)、
体操など、何でもいいから体を動かしてそのことに集中するとか。
夜中にヘッドホンをして電子ピアノを弾いてるうちに恐れが引いて、その後すぐに寝られた、ということもあります。
もしまたこのような恐れを感じたら、その場でジャンプしてもいいし、腕を大きく振ってみるとか、ラジオ体操してもいいし
かわす方法はある、と思っているので安心していられます。
私も最初はAさんと同じように、
「あんな恐ろしいところを超えていくなんて、とてもできそうにない。私には無理だ。」と思っていました。
その時は、恐れというのはどうしようもないもの、というように捉えていたのだと思います。
でも恐れを感じる、ということは必要があって自分で選んだものだということ、
そしてイエスはあの恐怖の中に入っていきなさい、と言っている訳ではない、ということに気がついてから
随分と楽になりました。
イエスが求めているのは、「感じている苦しみを私のところに持ってきなさい」
「あなたは僅かな意欲を差し出すだけでいい」とそれだけなのだと思いました。
だから私たちはどうにもならない恐怖の中を突き進んでいく必要はなく、
少しずつ少しずつ日常生活の中で感じるあれこれを赦そうとしていけばいいわけで、
(それには苦しさも伴いますが)
それを続けることによって、恐れとは自分が作り出したものであって
よく見てみたら、実はそこには何もなかったということに気がついていく、ということなのだと思います。
(2022年8月 by たんぽぽ)

