赦しの全体像
「水に潜る者」が主題にしている「恐れ」というのは、この世界に生きていると思っている我々には直接ふれることの出来ない恐れのことだと思っています。
再びシラーの使ったイメージを借りるなら、外側の恐怖の世界は、身震いするような内側の恐怖の海を覆い隠している、と言うことができるでしょう。
水に潜る者(第2回)
それほどの怖れと恐怖、それほどの自己嫌悪と罪悪感を、自分の顕在意識に保持したまま、この世界に存在できる人は一人もいません。
『奇跡講座入門』p.74
この世界・この宇宙を作り出すほどの強烈な恐れです。そんなものがあるとは想像もできないほどの強烈な恐れです。実はそうしたものを隠し持っており、赦しのプロセスの中でそれに触れることになるということを、この小品は教えてくれます。
内側の恐れというのは、赦しの実践が深まっていく中で、少しずつ浮上して意識化出来るようになってくるものです。そして、赦しという文脈を離れては、決して正気のまま触れることの出来ないものだと思います。
とても扱いの難しいものだと感じています。それゆえに、実践においても理論的理解においても、赦しの全体像というのを念頭に置いておくことが、何よりも必要になってくるテーマであるように思っています。
実践においても文章の理解においても、赦しの全体像を念頭においておくと、抵抗を超えていきやすくなるように思っています。
非常に簡潔でわかりやすいものを二つあげておきます。
【質問】No.81 (org.#272) 「赦し」についてのわかりやすい説明文のようなものはありませんか?
『奇跡講座』の学習において、理論的学習というのが必要とされ、非常に分厚いテキストがあるのも、我々が抱いている恐れの強烈さ、抵抗の激しさをイエス先生がわかってくださっているからだと思っています。

