涙の訳は
私は、「ごんぎつね」や「フランダースの犬」「銀河鉄道の夜」といった物語の中で
無垢な命が失われる(失われたであろうことに嘆く)シーン、そして
不当、不遇な仕打ちを受けるシーンに涙がとまらなかったことがありました。
一人のときはいいのですが、小学校の国語の授業で「ごんぎつね」があって
毎度毎度、泣けて泣けて、涙が止まらず、恥ずかしいから止めようとするのに
どうしても無理で、涙腺を恨んでみたり、なぜなんだろうと考えていました。
ただ哀しいのではなく、ものすごくせりあがってくるような、こみあげてくるような
動的な何かを感じて、それは「無垢性は傷つけられうる」「無垢であることは弱い」
という認識からきているのではないか。
また、「ごんぎつね」の「ごん」に関しては、「改心しても無駄」というような絶望を
上塗りして投影しているではないかと思いました。
『奇跡講座』を学ぶようになって、あらためて、その衝動と涙を見つめていくと
「過去に神を攻撃し、殺し、天国を破壊した」罪を裏付けるような証拠を
ここに投影していて、そして、その恐ろしい罪は可能であったし、変えられないし
さらには、選択しなおしても無駄だ(=心に戻るなんて、とんでもないことだ)
ということを、執拗に、追い込むように自分に教えているような気がするのです。
そこに思い至ると、衝動が消えて、あらたな涙は流れず
静けさが訪れるような感覚になります。
もう、この無垢なる象徴を、同じ目的に使うのはやめたいです、と
聖霊に差し出しやすくなるからかなあ、と思っています。

