赦しって難しい!でも…

昨日会社で、外部から講師を招いての研修に参加した。
講師が参加者にマイクを向けて意見を聞くことはよくあるが、その講師は一つの質問ごとに、参加者全員の意見を聞いて回った。

私は、これは「使えないおばさん」として定着してしまった私のイメージを覆す絶好のチャンスだ!と思い
とにかく立派な意見を言って、みんなに「すごい!」と思われようと必死になった。

しかし、すぐに自分の下心に気づき、「これは良くない」と思い
赦しの教室にすることにした。
このよくない感情は、心の選択からきているんだ、うんぬんカンヌン…。

そして今朝、食事の準備をしているときに、「あぁ、あの時はこう言えばよかった」、「そういうことなら先に言ってよ、そうすればもっといい回答ができたのに」と
もう終わったはずのことを、うだうだと考えていることに気がついた。

何やってるんだ!もう済んだことなのに、こんなの時間の無駄だ!と思った時
ハッと気がついた

あれ?私
みんなの前で良い格好をしようとしている自分を咎めてる?
でもって、失敗を悔やんでいつまでも気にしている自分をまた咎めてる?

ひょっとして昨日の赦しは、自分の下心を咎め、そは良くないことだから改めなくてはというところから始まっていたからうまくいかなかったのか?
つまりこれが、「破壊するための赦し」ってことなのか?

心に戻る云々より、まず「咎めずに見る」からはじめてみようと思った。

じっと自分の感情を見つめてみる、咎めずに見る

だめだ!
なんであんなことしちゃたんだろう、良い格好しようとして張り切っているみっともないおばちゃんの姿しか出てこない。
咎めずに見るって難しい。

聖霊の手を取って、一緒に見てもらおう。
あぁ、なんてあたたかい眼差しなんだ。
そうさ、咎めることなんて何もない。このままゆっくり原因までいこう、聖霊の手を離さずに。

(2023 年 8 月 by アムロ)