答えが存在する

ワプニック連載「赦すけど忘れない第11回」(質問11)(=書籍版『赦すけど忘れない』p94〜p98)を読んでの感想です。

私はこの質問を読んだとき、この質問者は、この世の具体的なことについて聖霊から具体的な指示を求めているのだなと思いました。だからてっきりワプニック博士は、「コースは結果のレベルでの変化ではなく、原因のレベルでの正しい選択のみを目指している」というようなことをおっしゃるのかと思っていたら・・・・

なんと

もし私がそのような状況に置かれたときには、「答えが存在する」という前提から始めます。

「赦すけど忘れない第11回」(質問11)
書籍版『赦すけど忘れない』p94〜p98

という、意外な答えだったので私は「ん?どういうこと?」と、ちょっとだけパニックに陥りました。

そして、その続きを読んだのですが・・・

「ワプニック博士が結果のレベルでの変化について話している」という思い込みのまま読み進めたので、内容はいつものワプニック博士の感じなんだけど、いまいちピンとこない、ぼんやりと理解できたような、できていないような、という感じのまま読み終えました。

しばらくの間そのままになっていたのですが、その後、フォーラムでこの箇所について触れている投稿を読んで、私もあらためてここを読み返してみました。

もし私がそのような状況に置かれたときには、「答えが存在する」という前提から始めます。全ての葛藤には答えがあり、全ての問題には答えがあります。ですから、「答えは内側にあって、私はただそれが外に出てくるままにさせればいい」という想定のもとに進みます。もし何も出てこないのなら、それは今の私にはまだその答えを聞く準備ができていないということです。

「赦すけど忘れない第11回」(質問11)
書籍版『赦すけど忘れない』p94〜p98

そして、あることに気が付きました。


私はこの「答え」を、この世のことについての「答え」として読んでいたけれど、もしかしてこれは、贖罪の原理「分離は一度も起こらなかった」なのでは?と思い、そのように読み進めていくと「お!お!お!」と、いつもと同じ感動に包まれました。

そして、『原因についてのコース』P29に、コースは結果のレベルでの変化ではなく、原因のレベルでの正しい選択のみを目指していてそのためには、赦しのプロセスを導いてくれる存在を信頼できるようになることが必要である、といったことが書かれていたことを思い出しました。

なぜそのように信頼できることが必要かといえば、

実は、無意識のレベルでは、私たちは神や聖霊に対して途方もない恐れを抱いていると、『奇跡講座』は教えています。表層意識のレベルでは、私たちは自分の望むものは愛や光だと思っていますから、その源である神や聖霊を恐れるはずがないと思ってしまいがちですが、実際には、誰の中にも、「犠牲を要求したり処罰したりする怖い存在」としての神への恐れが隠されています。

『原因についてのコース』P29


私はつい最近までこの恐れについてどこか他人事で、私にはそんなものはないと思っていました。

しかし、講義室でレッスンを丁寧に一つずつじっくり時間をかけて復習していく中で、確かに自分の中にもあることがわかり、それまでのレッスンがいかに言葉の表面だけをなぞるだけで、その奥にある感情に触れないまま済ませていたかということに気が付きました。

「無意識のレベルでは、私たちは神や聖霊に対して途方もない恐れを抱いている」、これが『奇跡講座』の教えなのに、私には恐れはないと思っていた私は、いったい今まで何を学んでいたのか? まさに、スタートラインに立ったような気持ちになりました。

そして、聖霊に耳を傾けても何の知恵も浮かばない、何らかの方向を指し示すようなインスピレーションも感覚も何も感じられないという質問者に対しワプニック博士がおっしゃったあの言葉(「もし私がそのような状況に置かれたときには、『答えが存在する』という前提から始めます」)は、つまり、心の中に「赦すための助けがある」と信頼すること、なのではないか?と思いました。

(2020年8月 by アムロ)