ある日のJACIMフォーラムでの会話

mさん

先日、ある夢を見ました。

それは、20年以上前に亡くなった母と、5つ上の姉と私で、旅をする夢でした。
母は病弱で年齢がいってる身体に無理をさせ、私たちに付き合ってくれていましたが、私は途中までそのことを忘れていて、3人でいる時間を楽しんでいました。
ですが、途中、母が本当はあまり体調が良くないことに気がつき、無理をさせてしまったことを後悔し始めたところで目が覚めました。

しばらく、その夢の中の母に対して自分はどうしたら良かったのか?と考えようとしましたが、待てよ、私はいつもの自我の考え方の流れに入ろうとしている、これでは何の解決にもならないと思いました。
そして、そうだ!私はこの夢を使って、別の見方もできるんだ!と心の中で言っていました。
弱い肉体を持った母としてではなく、守ってあげなくてはならない存在としてではなく、聖霊の目を通して見たいのだ!そう思いました。

sさん

sさん、素晴らしいシェアありがとうございます。

私もよく、ふっと亡くなった父が思い浮かんだり、今弱っている母を思い出したりして、、、、何もできなかった(何もできないでいる)自分を思い浮かべ、咎める、ということをやっています。そしてつぐないを考える流れ、、、悲しみに浸ることがあります。

この同じことを何度も繰り返しているのですが、これでは何の解決にもならないですね!
これは自分の意識を「この世界に釘付けにするため」にしている動きなのだなと思いました。
私も自覚できるようにしたいです。ありがとうございます。\( ˆoˆ )/

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今朝目が覚めた時に
自我はいつも誰かや何かを咎めてばかりいるけれども、それは「この世界に私の意識を釘付けにしておくため」なのだなと。どうりでいつも咎めてばかりいるわけだ!そうやって、この重い「憎悪」やチクチクした「咎め」、この「罪悪感(苦痛)」の感覚をよくみると、これは私の注意を惹きつけるための作り物で嘘なんだなと分かりました。

自我はいつも当たり前に、ただこうした同じ動きをしているだけなんだなと。奇跡講座のランプをあてて見ることの、素晴らしさを実感しました。

これが日中もうまくできるのか分かりませんが、うまくできないことも静かに観察している聖霊と共に、咎めずに見れば良いのかなと思いました。