尋問ライト

ある人が、自分好みのコースの学び方を私に提案してくる。
私は、「そうですか。」と言いながら
後からじわじわ腹が立った。

幕の内弁当をパッと開けて、どのように食べるのも個人の自由である。
だけど「こうやって食べたらいいんだよ。」と
横からお節介をされているような気分だったからである。

バクバクと思いつきで食べようが
好き嫌いして食べようが
糖質のことを基準に考えて食べようが
消化酵素の働きを考えて食べようが
作り方を想像して、調味料を分析しながら食べようが
はたまた、食べる前にインスタにアップしようが
それぞれの楽しみ方でいいではないか。

「ほっといてくれ。」

それが私の本音。

でも、それは、自分の学び方が「間違い」と言われたような気持ちだからであって
学び方は、人それぞれである。

そして、そこにジャッジしてくる人が「間違い」でもない。

そこに「否定された」という判断をした私が「間違っている。」

原因に戻れば、そういうことだ。

そして、そういったことを私も人にしているのだと
またもやくるりと尋問ライトが向きを変える。

私はこれと同じことをする自分を、責めたいだろうか。
私はこの鎖で自分を縛るつもりはない。[W-pⅠ.134.17:4-5]

そう思い出すと
ただただ、聖霊に、真実の光で不要なものは取り消してもらおうと願うことができる。

私が、赦しをありのままに知覚できますように。[W-pⅠ.134]

( 2020年5月 by シャンティ )