「失敗した経験」の必要性

嫌な気持ちの原因を、この世界の何かのせいにしない、ということは実践してみると本当に難しい。

しばらくそれを実践してみたら、ある時自分が「実際に起きていないこと」を赦すより「実際に起きたこと」を赦すことを望んでいることにはっきり気づいて驚いた。
「実際に起きたこと」を赦すなら、自分が相手より良い人っていうことになるから、私はその方が望ましいと思っていたんだ。「自分が相手と同じ」なんて全く望んでいなかったんだ。

自分は真の赦しなんて全く望んでいなかったのか〜。
でも、気づけて良かった。

なぜ自分の赦しがうまくいってない感じがしたのか、なぜ聖霊の言うとおりにしなかったのか、なぜ何年もテキストを読まなかったのか、その理由が少しずつわかってきたから。

そして「赦すけど、忘れない」を読むと、更に納得がいった。
前に読んだ時は「私は赦したら忘れてる」と信じていたけれど、本当は全然違った、ということがわかった。

質問6【「失敗した経験」の必要性】(P61)が、とても響いた。

私たちはみな、今度こそはうまくいくだろうという一縷の望みを抱いて、この世界の中の様々なものごとを試すが、それは、最終的に、「ここにあるどんなものごともうまくいかず、そして、ただ一つの真の選択肢は、聖霊か自我かという唯一の意味のある選択が存在する心の中へ行くことだ」と認識するまで続く、と。

それが意味のある選択であり、それが真の二者択一の選択肢です。

「赦すけど忘れない」質問6

あなたは階梯を上ろうとして何度も懸命に努力しますが、それでも、いつまでたっても最下段にとどまります。なぜなら、この世界の階梯、自我による階梯は、あなたをどこにも連れて行かないからです。ですから、そうした階梯自体がまるごと間違ったものだと認識することによって、あなたは正しい階梯の上に立つのです。

「赦すけど忘れない」質問6

ワークブックの講義を受けて、自分の心の決断が原因であることを常に思い出すことの重要性を実感した。
だからこそ、そのようにしたいと願う。

けれども無意識ではそのように思っていないことを実感したから、まずそのことに気づいていきたい。
奇跡講座を学びたいと思っていない部分を明らかにしていくこと、聖霊の思考体系に抵抗していることに気づいていきたい。

そしてそのたびにイエス先生を頼るようにしたい。もっとイエス先生を信頼したい。

(2021年7月、by ふうせん)