選択の目的

今日は、「プニック博士のQ&A 選集」P163の質問90を読みました。(「ワプニック博士のQ&A選集」にのみ掲載されている二つの質問のうちの一つ)

私は最初この質問を読んだとき、「この質問者の実践はいい感じではないか」と感じました。実は私も似たような実践方法を採ることがあったからです。

そしたら回答で、ワプニック先生が「あなたが述べておられるやり方(具体的な状況を、自分で作り出したものと見なすというやり方)は、あまり助けにならないと思います。」と否定的な見解で、ギョッと冷や水を浴びせられました。

この質問者の方法は、ニューエイジ的な適用方法・実践方法なのかなと思いました。つまり、『奇跡講座』的に言えば、レベルの混同ではないのかなと思いました。

『奇跡講座』は、私たち分裂した個々人の存在よりも、もう一段上の段階、すなわち無数に分裂する前の、一なる神の子の〈決断の主体〉の選択のことを言っている、この〈決断の主体〉が自我を選択したこと、それのみが問題である、と言っている、もっと言えば、『奇跡講座』はこのことだけを言っている、のだと思いました。

ただ、無数の個々人に分かれて生きている(と思っている)私たちにとっては、この〈決断の主体〉による選択のことを思うよりも、今、目の前に生じた(かに見える)出来事を、どちらの教師と共に解釈・体験するのかを選ぶ練習をすることが、いわゆる実践であり、その練習の積み重ねにより、最終的には、どんな出来事が起ころうとも、悲しいことや辛いこと、嬉しいことや楽しいこと、どんな出来事が起こっても、知覚するのはキリストの美しさだけになるのかな、と思いました。