私のすべきこと
「どう聴くのかを学ぶ」(第2回)(https://jacim.com/jcm/?p=8861)に、
・・・私たちは、自分の狭量な判断や間違った知覚を超えて、その背後にある愛という内容、または、私たち一人ひとりの中にある「愛を求める呼びかけ」という内容へと、意識が向かうようにしなければなりません。
「どう聴くのかを学ぶ」(第2回)
と書かれていた。
これを読んだとき、私はすぐに、「たとえば、現在のウクライナ侵攻において、あのように残虐なことを平気でしているロシア兵については、どうなんだ? 彼らに対して、人非人と叫ぶのをやめ、彼らの中にある『愛を求める呼びかけ』という内容へと意識を向けるようなことができるだろうか?」 と思ってしまった。
けれども、数日前に読んだ新聞記事の一つに、ロシアのウクライナ侵攻において、占領後の虐殺に加わった兵士ばかりではなかった、地域によっては、「戦争なんかしたくなかった」と嘆く若いロシア人兵士もいたし、何も残虐なことはせずに子供達にクッキーをくれた兵士もいた、というようなことが書かれていた。そして、「部隊ごとに空気(集団規範)が違ったのではないか・・同じ兵士でも、どの部隊に属すかにより変わるのかもしれない」といったことも書かれていた。
そうか、戦場に送り込まれた彼らも、毎瞬、どちらの教師を選ぶかを問われている神の子なのだ・・
ならば、やはり、今、私のすべきことは「愛を求める呼びかけ」という内容へと意識を向けることであり、それを阻もうとする私自身の「個人的な必要」に目を向けることなのだ、と思った。
