爆発した怒りについて

昨日、夫への怒りが、着火して、燃え上がり、爆発した怒りになっていく様子を、スローモーションのように見ていました。

と書いたけれど、書きながらこの描写は正確に言い当ててはいない、と感じるので、自分が納得のいくように、あらためて書いてみようと思います。

昨日、夫の言動がきっかけとなって、私の中に燻っている罪悪感が、投影先を夫に焦点を当てたことに始まり、罪悪感を夫に向けて投影を開始し、猛烈にそれを投げ放ったところまでを見ていました。

これが自分なりに納得できる描写です。

今、書きながら気が付いたのは、多分ですが、この行程を完全には自我と一体化して行ってはいなかったのではないか?ということです。

この行程を眺めていた自分の視点が確かにありました。けれど、私は確かに罪悪感を投影するために夫に怒りを向けることを選び、怒りを感じていたのも事実です。

とはいえ、

・・・怒りが爆発してしまい、彼を非難することをどうしても止められなくなってしまったのです。

【質問】№57の質問より

昨日は、このようにはならなかった、と思います。

昨日は、怒りが頂点に達し、爆発して大きく放たれたときに、

彼に向けて自分の心の中で述べていた非難、攻撃、怒りが、自分の心の中へ戻ったように・・・・ではなくて・・・・

それまでは、彼を心の中で非難し、攻撃し、怒っていたのですが、それがMAXに放たれたように感じたとき、そこまでの一連の流れをスローモーションのように見ていた視点が、今度は自分の心に向いたように感じられました。目のやり場が変わったような・・・。違うかも。

肉眼の目のやり場ではなく、見えている映像は変わらないのですが・・・

あ!

彼の言動に注意が向いていたのに、自分の心の中に注意、関心が固定されたように感じられた、ということだったと思います。

嵐がやってくるのを感じたとき、私が最初にやろうとしたことは、『奇跡講座』の「テキスト」か、ワークショップからのメモか何かを読むということでした。

【質問】№57の質問より

私には、そのような時間はなかった・・・と思います。スローモーションのように見ていた、という感じなのですが、それはわずか1,2秒で完了してしまった行程でした。

いつも、このような時に、私は自我と一体化するということを選ぶのですが、昨日はそれを見る、ということをしたようです。

普通なら、そうしたことが落ち着きを取り戻すのに役立つからです。

【質問】№57の質問より

この質問者が、それで落ち着くのだとしたら、それはその時に、抵抗に気づきそれを見る、ということをしているからなのだろう・・・と思いました。昨日、私は『奇跡講座』のどの文言も思い出せませんでしたが、自分が夫に向けて怒りを投影しているという行程を見続けて、落ち着きを取り戻せたように感じました。落ち着きを取り戻せた、ということは、怒りの投影がストップした、ということです。彼への非難が鳴り止み、ただ自分のしていることが鳴り止んだ、ということです。

それで、感じているのは、

あの時、自分のしていることを見ていなかったら(心に戻って来なかったら)、怒りはそのまま温存されていたということです。

しばらくすると、自我の心が、また投影先を探し始めたようにも感じられ、今見ている心から関心を外に向けようとしている自分の心の動きも感じました。そうしていながら、それをし続けるならば、この怒りは温存されて、癒される機会を失ってしまう、ということも自覚していました。

なかなか、【回答】にたどり着けないのですが、今回は【回答】にも進んでいけそうな気がします。

ゆっくりと進んで行きたいです。

(2022年4月 by maru)