正当化したい!

もしも、怒り、攻撃衝動、何らかの形で表われる愛の欠如といった自分の間違いを正当化するために知覚を用いているなら、私たちは邪悪さ、破壊、悪意、羨望、絶望の世界を見ることだろう。

『奇跡講座』まえがきより

Q&Aや解説を見ても、怒りや攻撃衝動を正当化しないという記述がよく出てくる、私はこの「正当化しない」というところに良くマーカーを引いて、正当化しないようにすればいいんだといつも思っていた。

だが昨日ワークブック解説を読んでいたら、「正当化しない」ってどういう事?って疑問がわいてきた。

そしたら、正当化しないというのは「間違いを認識すること」だという理解がやってきた。

そして今日妻からとある事でメールがやってきて、私がそれについては今までとやり方を改めて欲しいと返信した事をきっかけに、攻撃の応酬となった。

これは私のいつものパターンである。一通り私の正当性を主張すると、妻がそのことについて怒り狂っていた。

その時ふと「正当化をやめる=間違いを認識する」という事を思い出した。そして聖霊に助けを求めた。

すると、すぐに「私は間違っている」という認識に切り替わった。

その時心の中でもうもうと立ち込めていた、怒りの炎が消え去り、花畑のような平安があった。

そして私はすぐさま、聖霊の思考体系から見るならば、「私が間違っていました。言う通りにします。」とメールした。

こんなことは今までできなかった、せいぜい妻と攻撃の想念をぶつけあった次の日に、あの時私は完全に自我と同一化していたと、思い返すぐらいであった。

その喧嘩の最中には、自我のアクセルが全開で、聖霊の入り込む余地など全くなかった。

しかし間違っていたとメールを送った後、また心の奥底からもやもやと、「私は間違っていない」という想念とともに、怒りや苦しさが噴き上がってきた、

ああ私はこんなにも正当化したいんだなと、はじめて実感できた。

そしてそれを聖霊のもとに運んだ。

そうして帰宅する頃には、妻から「私も言い過ぎた、ごめんなさい。」とメールが来ていた。

そこにはいつもより少し平和な世界があるように、感じられた。