兄弟の胸を借りて

私は、フォーラムの2つの読書会に参加して、

「否認している」とか、「分離していたい」とか、「神との間に兄弟はいらない」とか、「共有したくない」とか、、、、

そうした、自我を選んでいることを認識して過ごし、沸々と、穏やかでない感覚が見え隠れしているのを感じていました。

そんな中、先日、ある人が思い浮かんで来て、腹立たしさを感じていました。

その人というのは…

人当たりが良く、相手を油断させてから出し抜くずる賢さ、人の大切に培ってきたものをじわじわと奪い取っていくようなしたたかさや、スルッと手のひらを返す本音の見えない一筋縄ではいかない所があるけれど、一方で、自分の中で模索しながらもひたむきにコツコツ頑張っていたり、優秀で頭がキレ、自分の意志を持ち、時には大胆な振る舞いをするところが魅力でもある。

繊細で、優しくて、怖がりで、ちょっと面白くて、すぐに涙を流すところも知っている。

その他、言葉に表現できないところもありますが、そんな良いも悪いも含めて、私の大切な人の一人です。

なので、自分の都合に合う時はとても愛しいと感じますが、そうでない時は「見知らぬ人」となり脅威と憎しみの対象になる<特別な愛憎の関係>を見ている一人なのです。

何度も、赦しの相手として見てきたので、「相手に無垢性を見られないのは、私が自我を選んでいるからだ」と、その間違いを聖霊に明け渡して、安堵し癒されたこともあります。

で、ここに来て再登場して来たということは「まだ、赦しきれていないのか…」と、ちょっと複雑な心境でした。

実際に目の前にいるわけでもなく、何かされたわけでもないけれど、上記の都合の悪い面ばかりを思い出していました。

裏切った! 嘘つき! 盗っ人!!

という激しい感情を感じて

「分離していたい」「分かち合いたくない」「兄弟と共有したくない」

そのことを証明するかのような行い(考え)で、「ほらね」と自分に言い聞かせているように思えるのです。

だけど「ほらね」と言われても、何も嬉しくない。

こんなにも気分の悪いことを本当に目的にしているなら、私は自分の利益をわかっていないではないか?

相手に罪悪感を投影しているということは、それは私の心の決断なのだから、聖霊に判断してもらおう、と聖霊を思い出してみても

……聖霊の手を取るどころか丁重にお断りしている。

自分の(間違った心を選んでいるとわかっている上での)判断に納得できているので、「どうぞお構いなく」といった具合に全く悪びれもせずに。

「なんか、おかしい。私は間違っているはずなのに」とどこかでは思っているけれど、聖霊を拒んでいることにまったく、罪悪感は感じないでいた。

なんなら、自我の思考体系でいることを静かに勝ち誇っているかのようだった。

んーむー。…その判断は間違っている。と、私は知っている。

別の見方があるはずだ。別の見方がで見ることもできるはずだ。

そう思い、もう一度心と向き合い、見直してみることにした。

ふと、「私が相手を自分の夢の中に置いた」という言葉が浮かび、その目的はなんなのか、正直に見つめてみた。

「裏切った」「嘘つき」「盗っ人」

これは、神と自分への憎しみの感情だ。

それを感じ切っていく。

さっきまでの勝ち誇ったような気持ちが、どんどんと遠のいて、今度は

寂しい。。悲しい。。惨めだ。。

といった、居場所のない孤独感、心細さにうっすら涙も滲んでくる。

「どうぞお構いなく」と、強がっていた仮面が剥がれていく。。

本音が出てきた。

そう感じた。

神との分離を勝ち誇ったのも束の間、本当は孤独で寂しくて、そんな自分の惨めさを隠すように「私が除外された」と怒り、神を責める。

私が、裏切り者で嘘つきで盗人なのだ。

私は、相手に、この自分の罪悪感を見ていたのだ。

投影できるなら誰でも(何でも)いいはずの夢の中に、わざわざこの相手を選んで、「私が相手を自分の夢の中に置いた」のなら、その目的を「聖霊と共に見る」とするなら、つながりを見ることになるのではないか?

それができないのは相手のせいだという

それができないのは神が私を見捨てたからだという

そんな間違った見方をしていた。

聖霊を拒み、自我を選んだから。

もう一度、選び直そう。

相手とも、神とも、離れてなんかない。

本当は、そうである(ひとつである)ことを教えてもらいたいのだ。

そうであってほしい(つながったままである)と願っているのだ。

そう思った時に、上に書いた「人物像」は、ディテールにまで拘った金ピカの額縁で、

その額縁ではなく絵を見るなら、そこに見える絵はどんな絵なのだろう?

私が裏切り者で嘘つきで盗人で無いのなら、私は何者だろうか?

そのような考えが浮かんできた。

それを知るのが怖いと感じている。

その見方を私は知らないから。こわい。

この質問と、こわい。という思いを聖霊に明け渡し、今度こそ、聖霊の手を取って

正しい知覚で見る事ができるように教えてもらいたい。

金ピカの額縁から相手を解放することは、私自身の癒しでもあるのだから。

私は、この自分の「間違った見方」を手放して、もう一度選び直したいと願っています。

真に見ることを願います。

聖霊、イエス、そして兄弟に感謝して、静かに待ちたいと思います。

そう思った翌日、

『自分の家族に不当に扱われ とても腹が立っている』という話を友人から聞いた。

まだまだ感情冷めやらぬ友人の話を聞きながら、チクチクと胸が痛む。

幸せでいて欲しいと願う気持ちも感じていた。

私の中の生暖かい記憶を刺激し、寂しくて、惨めな思いが伝わってくるようだ。

ここに、「神の裏切り」という証拠を見ようとしているのだな。といった思いが浮かぶ。

形は違えど、彼女も神からの裏切りを感じているのだな。あなたも私も同じね。

などという考えも浮かぶ。

いやいや、違うから。

その「あなたと、私は、同じね。」は、違うからっ!

と、自分にツッコミを入れつつ

『あなたも私も、

神からの裏切りがあると信じている。

神を裏切った罪があると信じている。

でも、神は裏切ったりしないし、神を裏切るようなことも一度も起こっていない。

私たちは、この間違った考えが「無」だということを知っている心を選ぶ 決断の力 を持っている。』

そう胸の中で言い直す。

友人と私の<神の子>の神聖さを信じよう。

この友人も、私が自分の夢の中に置いた1人なのだから。

ただ、教えてもらいたい、と聖霊に心を寄せたいと思います。

今は、とても穏やかです。

読んでくださり、ありがとうございます。

(2022年8月 by シャンティ)