具体的な世界の必要性
「具体的」ということに関して書いてみます。
具体的な憎悪は正当化できるので、具体的な世界が作り出されたように思います。
分離とは殺意の想念です。
神を殺害したという罪悪感から、神の憎悪(私の神への憎悪の投影)が私に向けられていると恐れおののきます。
私が神を殺したから神に殺されるとおののきます。
しかし、それには耐えられません。
だから、自分の殺意・憎悪を向ける具体的な相手が必要なのです。
あなたがやったことの故に、私があなたを殺したいと思うことは正当である。
というように、具体的なものに向けられた具体的な憎悪は、正当化できます。
それゆえ、具体的な世界が必要なのです。
「あなたが私をこのようなものにした。」だから、私があなたに憎悪を抱くのは正当である。罪はあなたにあって、私にはない。
「無垢なる顔」は、具体的な世界にしか作り出せません。
殺意や憎悪が所属するのは加害者であるあなただと思いたいのです。(もちろん私の投影でしかないのですが)
殺意(分離)を抱いたのはあなたであり、あなたに罪がある。
そして、あなたに抱く私の殺意・憎悪はしかたのないもの、正当であると思いたいのです。私は正しくあなたに怒りを覚えていると思い込むのです。
しかし、その内実は下記の通りです。
恐れは貪欲で、目にするものをことごとく食いつくす。あらゆるものの中に自分自身を見るので、自分自身に襲いかかって、破壊したくなるからである。
兄弟を肉体と見なす者は、兄弟を恐れの象徴として見ている。そして彼は攻撃する。なぜなら、彼が見ているのは自分自身の恐れであり、それが自分の外側にあって、攻撃の構えをとり、再び自分とひとつになろうとして叫んでいる様だからである。投影された恐れが次から次へと引き起こす怒りの激しさを見誤ってはならない。それは猛り狂って金切り声を上げ、自分を作り出した者に飛びかかり食い殺したいと思うあまり、狂ったように空中に爪を立てる。
(W-pI.161.7:5; 8:1-4)
「自分を作り出した者」というところは、わかりにくいかもしれませんが、「あなたが私をこのようなものにした」という論理を念頭に置いておけば、理解しやすいと思います。
27章VII.「夢を見ている者」もとても参考になると思います。
一部引用しておきます。
この世界を作り出し、その土台となり、世界を維持している「論理」とは、単純に言えば次のようなものである。「あなたが、私が為すことの原因である。あなたが私の前に居ることが、私の怒りを正当化する。そして、あなたは私とは別個に存在し思考する。あなたが攻撃するとき、私は無垢であるに違いない。そして、私の苦しみの種は、あなたの攻撃である」
(T-27.VII.3:1-4)
復讐には焦点がなければならない。そうでなければ、復讐者のナイフが自分の手中にあり、自分自身に向けられていることになる。彼が自分で選択しなかった攻撃の犠牲者になるためには、他者の手中にナイフを見なければならない。こうして彼は、自分の握っていないナイフに傷つけられて苦しむのである。
これが彼が見ている世界の目的である。そして、このように見られたとき、世界が提供するのは、この目的を成就させるかに見える手段である。
(T-27.VII.4:6-9;5:1-2)
( 2022年7月 by pallaksch )

