形態を通して内容に触れていく
ヘレンが『講座』を書き取ることを可能にした解離のプロセスそのものが、彼女が『講座』を修得することを事実上不可能にした
『天国から離れて』
『天国から離れて』の中のこの文について考えていました。
ここ最近、意識的に知覚している聖霊(イエス)と心の中の神の愛の記憶である聖霊(イエス)とのギャップについて投稿していましたが、そのことに思いが及びました。
我々は、解離があるからこそ、聖霊(イエス)を意識的に知覚することができるわけです。乖離がなければ、聖霊(イエス)との一体感のなかにあるように思います。聖霊(イエス)と関わりをもつことができるのは、解離のおかげです。一体性を恐れて拒絶しているがゆえに、一体性の象徴・他者としての聖霊(イエス)と関係を結ぶこととなります。そして、咎めのない存在・聖霊(イエス)を感じることが、心の闇を直視することを可能とし、選び直し、心を統合していくことになります。
『奇跡講座』のプロセスというのは、聖霊(イエス)との関わりを・聖霊(イエス)に対する信頼を直接改善していくものではなく、選び直し・赦しのプロセスとリンクしながら、罪悪感の暗雲を少しずつ取り消しながら、つまり、心を統合しながら、聖霊(イエス)との関わりを・聖霊(イエス)に対する信頼を深め、より身近に感じ、その実在性を実感していくものだと思います。そのプロセスの中で、聖霊(イエス)は他者ではなく、自分の心の中に実在するということを受け入れていく、つまり贖罪を受け入れていくように思います。
『奇跡講座』では、兄弟(ヘレンさんにとっては特にビルさん)を赦していくことで罪悪感を取り消していき、神の愛への恐れと向き合うことを可能にする、つまり、兄弟との一体性を通して神との一体性へ達することを可能とするように思います。ところが、ヘレンさんはすでにイエス(聖霊・神)との関わりの圧倒的な経験を持っていたがゆえに、イエス(聖霊・神)への愛と、兄弟(ビルさん)への愛が別のものとして知覚されていた、イエス(聖霊・神)への信頼と兄弟(ビルさん)への信頼が別のものとして知覚されていたのだと思います。だから、どれほどイエス(聖霊・神)への信頼・愛を感じていても、赦しが難しいものとなっていたのではないかと感じました。
ヘレンさんの霊視体験で、ビルさんの姿とイエス先生の姿がだぶっていたのは、ヘレンさんのイエス先生への思いとヘレンさんのビルさんへの思いは、実は一体のものだということを気づかせようとするヘレンさんへの呼びかけのようにも感じます。
ワプニック先生が、霊的な体験・神の愛を感じる体験、そうしたものではなく、日常的な小さな赦しの積み重ねや心の闇を見つめることに意識を向けさせるのも、選び直し・赦し・心の統合と関連しないイエス(聖霊・神)との関わりは、下手をすると心の統合を困難なものにしてしまうから、ということではないかとも思いました。兄弟との関わりを抜きにして神の愛への恐れを超えていくことは、ほぼ不可能なのだと思います。
また、『奇跡講座』という形態は、一般の我々にとって難解なものです。それゆえに、その文章の意味を把握するために、何度も何度も読み込むというプロセスが欠かせません。しかし、ワプニック先生も言われているように、そのプロセスそのものを通して、それをしなければ受け取れなかったはずのレベルの意味を発見していくことが可能となります。つまり、形態を通して内容に触れていくことができる形態になっているように思います。しかし、ヘレンさんにとっては、『奇跡講座』という形態は難解でもなんでもなく、明快なものでしかなかったように思います。ヘレンさんにとって最も明快な形態であったからこそ、その内容に触れることなく、その形態のみに関心を向けることが可能であったゆえに、難解な形態を読み解くというプロセス、その教えの内容に少しずつ触れていくという優しいプロセスの、恩恵にあずかれなかったようにも思いました。
(2022年12月 by pallaksch)

