同じものとして
私の家族はコースをしているわけではないのだが、
昨夜とてつもない恐怖を感じているようで、
怖い怖いと泣いていた。
しかし、私は家族に何もすることができなかった。
コースの理論を語ってみたが慰めにはならず、
ただその出来事に対して、
心の中の罪悪感を見つめるだけであった。
このような状況に対する処方箋として、
自分に向けられた「怒り」を「恐れ」に読み替えて、
「JQA #35: 自分に向けられた怒りへの対応」を読み返した。
「他者に対して自分が攻撃したり怒りを感じたりしている場合は、それが自分の罪悪感の否認と投影によるものだと認めることができるけれども、他人が自分を攻撃したり自分に怒りをぶつけてくるようなときにはどう対処すればいいかわからない」と感じられるとき、これら二つの状況は異なると認識されていることになりますが、実際には、どちらもその本質においては同じです。でも、自我の思考体系の中で考えれば、これら二つの状況が異なっているように思えます。そのように思わせるのが、自我の考え方です。そのように見せかけていられる限り、問題が解決されないままにし続けることができるので、自我は「問題」がそのように捉えられることを望んでいます。
家族が恐れに苦しんでいる時、それは私の恐れとは別物であると私は感じていた。しかし、聖霊から見ればどちらもその本質においては同じである。
「問題は、他者ではなく自分の心の中にある」ということを、まずは思い出すことが大切です。
家族が苦しんでいる時、「問題は、他者ではなく自分の心の中にある」ということを思い出す。赦しの第一ステップ。
多くの人々は、その「がっかり」感や「残念な感覚」をどうすれば消せるのかというところまでしか関心がありませんが、『奇跡講座』はさらにその先まで行きます。
このような、ある特定の状況についての不快感や怒りや不安などといった感覚は、その状況についての自分の解釈の結果として生じたものであるということを、理解する必要があります。
家族の苦しみに対する罪悪感を、取り消すということから一歩進んで、それは、私が心の中で自我の目的を選択した結果であると認識する。赦しの第ニステップ。
ここまで遡って考えてはじめて、「投影」というものが理解できるようになり、「あらゆることを赦せる」真の赦しが可能になります。
決断の主体まで遡ってはじめて、家族の恐れが自分の恐れの「投影」だと認識することができ、同じものとして「赦し」を行うことができる。
◆投影についてはさらに、以下の本館のQ&Aも参照してください:
【質問】No.99 「他人から不当な攻撃を受けたと私が思うとき、なぜ、それが、私自身も他人を攻撃したことになるのですか?」
ここは前回家族と喧嘩した時に復習した質問である。
やはり「投影」について全然見れていないし、わかっていないと実感する、復習を繰り返していきたい。
とりあえずまずは家族の恐れに対して実践してみようと思う。
(2022年2月 by ようすけ)

