少しずつ(^-^)

少し、思ったことを書きたいと思います。レッスン50からの引用です。

この世界の中では、あなたは自分が神以外のあらゆるものに支えられていると信じている。あなたの信仰は、最もつまらぬ狂った象徴の数々に捧げられている。錠剤、金銭、「身を護るための」衣服、影響力、名声、人に好かれ、「適切な」知り合いをもつこと、そして、あなたが魔術の力を授けている数限りない虚無の形態である。

(W-pI.50.1:2-3)

この世界の中で、私が恐れを感じるとき、それはその“つまらぬ信仰”の対象が、私の思う通りでなくなった、必要を満たさなくなった、または満たさなくなりそうで、肉体としての私が脅かされていると感じています。

そして私は、聖霊に助けを求めます。

コースの理論において、神はこの世界を知らず、神との一体の記憶である聖霊はこの物理的世界に介入しません、と何度も教わっています。助けは心の中の誤った選択肢を選び直すための助けだと。

ですが私は恐れを大きく感じるとき、そのような理論のもと心の中に戻り、赦しを実践しようという意欲がもてなくなります。

問題には重大さの違いがあり、幻想には順位があると思っています。

私は世界の中で知覚する問題の解決について、形態のレベルでの助けを求めています。

私はこれが問題だと信じているので、助けを求めるとき、解決される形をあらかじめ決めずに求めることができません。

ですからコースの教える原因のレベルでの助けを求めることができていないと思います。

それは本当は助けを求めていないということの表れだと思います。

この世界の中で起こるあらゆるものごとは、良いも悪いもなく、私は普通にただ対処するべきことに対処しつつ、それに恐れを感じているというそのことだけをもって、コースの理論に則って、何が心の中で起こっているのか、どんな目的を選んだのか、心の中にある助けを信頼しつつ、心の中を直視する。

心とは何か、赦しとは何か、自我とは何か…まったくわからずに混乱する自分がいます。

…でもまあ去年よりわかってきたよね。だからこれからもっと学んでいこう、と気持ちを新たにしていきます。

最初に、私たちは幻想に信を置いたことによって、幻想の中に生きる者となってしまいました。そして、自我を反映しているあらゆるものごとによって、幸せや安全や健康やその他の素晴らしいものが自分に与えられると、私たちは信じています。

私たちがこのコースで学んでいるのは、それらすべてを直ちに手放すことではなく、「それらの中に幸せを求めることは、神の愛を拒否しているということである」ということに、まず、気づくことです。そうして、自我のかわりに、神の愛を信頼することを練習していくなら、「それは永遠にして不変であり、永久に頼むに足りるものである」(W-pI.50.4:3)ということを実感できるようになります。

「奇跡講座・ワークブック」解説(その2:レッスン25〜50)』244ページ

(2022年9月 by yukihide)