私は恐れを恐れてはいない。

私は今まで罪悪感についてよくわからなかった。
しかし罪悪感=自己憎悪と考えることで、
自我の思考体系について整理できた気がした。

私は自己憎悪を常に感じている。
それは、恐れを生み出す。

恐れ [fear]

自我の感情であり、神が私たちに与えた感情である愛と対照をなす。自分が犯した罪のゆえに処罰が与えられるだろうと予測して生じる感情であり、私たちの罪悪感がそうした処罰を要求する。

用語解説

罪→罪悪感(自己憎悪→処罰)→恐れ
そして私は自己憎悪を投影する。
自己憎悪は常に内側に向いたり、外側に向いたり、
コロコロと変わる。それが恐れと怒りとして感じられる。

私の苦しみの理由がわかったような気がした。
そして以下の文章を思い出した。

だが、あなたの無秩序な心の状態においては、あなたは恐れを恐れてはいないのである。それを好んではいないが、あなたを真に恐れさせるのは、攻撃への欲求ではない。あなたは自分の敵意に深刻に悩まされてはいない。あなたはそれが覆っているもののほうをもっと恐れているがゆえに、それを隠しておくのである。自我なくしては、もっと恐ろしい何かを自分の中に見出すことになると信じていなければ、あなたは自我の最も深い闇に覆われた隅石でさえ、恐れずに正視できただろう。あなたは実際には十字架刑を恐れているのではない。あなたの真の恐怖は、救いに対する恐怖である。

(T-13.III.1:5-11)

私は怖く怖くて堪らないと感じている、
しかし「あなたは恐れを恐れてはいない」とコースは言う。

決断のためのルール
ルール4:少なくとも私は、今、感じているような気持ちは好まないと決めることはできる。

私はそれを好んではいないが、恐れてはいない。
私が真に恐れているのは救いである。

そう思った時、以下のように抗弁したくなった。

B: まさか! そんな狂った話は聞いたことがない。僕はそんなことは信じない。あんなに苦しんでいる患者、自分の問題について涙ながらに訴える患者、治療のために大きな犠牲を払っている患者が、癒されたいと望んでいないなどと、よくも言えたものだ! もちろん、君は本気でそのようなことは言っていないと思うが・・・。

『奇跡講座』に対する抵抗(第2回)より

しかし、「私は恐れを恐れてはいない。」と心に問いかける時、一瞬心に緊張がはしる。やはりこれが真理であるように感じられる。

A:  落ち着け! 私は本気だ。私が言ったことは真実だ。もちろん、真実の全てだとまでは言わないが、その特筆すべき一部をなしていることは確かだ。患者は、癒されたいと望んでいる。しかし、同時に癒されたくないと望んでいる ・・・・ 彼らは自分の病気について文句を言うが、力の限りその病気を利用している。もし誰かがそれを取り去ろうとすれば、諺にある子連れの雌ライオンのように、自分の病気を守ろうとするだろう。

『奇跡講座』に対する抵抗(第2回)より

私は恐れを恐れてはいない。
私が真に恐れているのは救いである。
このことを心に適用してみようと思った。

(2024年3月 by ようすけ)