今を見るには

人生を振り返ることは、特別性に向かうこと、悲痛さを掘り起こすことだと、思い込んでいました。

過去を振り返ることは特別性を強化する、分離を強化する、という思い込み。
それは過去に対する恐れを実在化する。
過去にふたをすることで、過去を実在化する。


「今だけを見る」ということに対する勘違いも強める。それを、過去を振り返らないことだと勘違いする。

恐れがあるなら、動揺があるなら、過去を見ている。

「今」というのは内容のことである。
形態のことではない。過去現在未来という形態の中の現在のことではない。「今にある」というのは、そのような形態に全く意味をもたせていないことである。
形態の過去現在未来は、すべて「過去」のことである。


いわゆる過去を振り返ることも、聖霊とともにするならば、赦しへと導かれる。

形態のうえでの自分の過去を見ることは、形態のうえでの現在において「今」を隠す要因を見るのに、利用できる。

でも、無理をする必要はない。
無理に見ようとすれば、形態のうえの過去に意味を持たせることになり、時間の実在性、分離を強化し、「今」を見えなくする。

自分で解決しようとしない。なにかに気付くだけでいい。
それをまとめようとしない。まとめるのは目的ではない。赦しだけが目的。


自分に問おう。
それは、何のためのものなのか?

(2018年11月by pallaksch)