入り混じった想念

「思考の逆転」P91から引用します。

そして、さらによく見てみると、その恐れの感覚には、もっと、いろいろな想念が入り混じっていることがわかると思います。

たとえば、「自分を失いたくない」、「抽象的な神の愛ではなく、具体的な(特別な)愛がほしい」、「不満を手放したくない」、「葛藤がないのは退屈」、「特別な存在でいたい」、「完全な静寂は恐ろしい」、「絶対に自分は正しい」、「憎むことができる相手がいなくなるのは嫌だ」など、それぞれの状況によっていろいろな思いが浮かんでくると思いますが、このすべてが、罪の想念がいろいろな形に現れたものなのです。

こういった想念があるということが、神の愛を押しのけているということになるのです。

「思考の逆転」

今までこの箇所は、「わかるわかる。」と思いながらサラッと読み飛ばし、実践においては、確かに恐れには色々な想念が入り混じっているんだけど、一つ一つ取り上げて見るのはめんどくさい、存在論的な恐れを見ればいいんでしょ!と、見ることはしませんでした。

これは抵抗だったのだと、自覚しました。

そして、入り混じった想念を見ることができるようになってきました。

今日の実践では、恐れの奥に、「神を殺したい、神を許さない、特別でいたい、私が創造主」といった色々な想念が渦巻いていました。

それをみながら、ふと「こういう思考体系はもう必要ありません。」という感覚がやってきました。

そして、「そんなことよりも私は平安でありたい、私は疲れ果てている、正しくなくても構わない、家族の笑顔が見たい、家族で笑って、この世界のみんなで笑っていたい。」この思考体系を捨てて、別の思考体系を選ぶという、強い意欲が湧いてきました。

これは不思議な体験でした。

これがコースでいう、「かすかな意欲」なのかなと感じました。