恐れに気づくなら
『奇跡講座入門』の以下の箇所を読んでいて、ドラマや映画などでよく描かれるシーンのことを思いました。
そして今や、彼らは、神に見つかったらどんな目に合わされるかだろうと恐れを抱きます。
『奇跡講座入門』94ページ
追跡される犯人。捕まりそうでハラハラしている場面。息をひそめて隠れている緊迫の場面です。このような場面を見る時、自分も同じようにハラハラしています。それは、その緊迫感、緊張感を自分自身も知っているからだと思いました。その状態を知らなければ、犯人と同じように感じることって出来ないのではないか? だから、これは私の状態なんだ、と思いました。
そして、
・・・・・それをしてしまったという罪悪感との間にある関連性、および、神が私たちを捕まえて罰するときには、自分たちに何が起こるのだろうかという恐れです。
『奇跡講座入門』94ページ
ここを読んでいて、その「恐れ」を感じる方が良い、という考えが浮かんできました。
「恐れを感じるか、感じないか。」
「恐れを感じていることを意識しているか、恐れを感じていることに気が付いていないか(=無意識になっているか)(=否認しているか)」
そして、どちらが楽か、 どちらが苦しくないか、と言えば、もちろん恐れを感じているほうが辛いわけですが・・・
恐れを感じていない(気が付かない)のは苦痛が少ないけれど(意識の上では)厄介だと思いました。
恐れを感じていることに気づくなら、方向転換と隣り合わせだと思えます。恐れを感じているならば、罪悪感が浮かび上がってきているので、赦すことのできるチャンスとなるからです。
自我と一体になって、自我と見ている状態であっても、恐れを感じ切ってその苦しさに気づくなら、それは、方向転換がすぐそこにある光の時だと思い、やはり、自分の感情を感じる、感じ切るということは非常に大切だと改めて思いました。
・・・と上記のように書いたあと、台所作業をしていて、自分が、せかせか、カッカと焦燥感、苛立ち、空虚感をもちながら作業していることがわかり、「私の気分転換は、この自我の想念を引っ込めることだったんだなあ・・・」と思いました。
今、浮かび上がってくるこの不快な自我の想念を見ないようにすることや、浮かび上がってくるものを引っ込めるといった作業が、今まで私がしていた気分転換の意味なんだなあ・・・と。
そう思ったら、台所作業中に感じる心穏やかでないことを、赦しの機会にするだけだ!!と思いました。せっかく、今、浮かび上がってきた自我の想念を見過ごしたくはない。今、赦したい、と思いました。
(2023年3月 by maru)

